ネット上での「学び」について

ビル・ゲイツがカリフォルニアのTechonomyという会議で語った「ここ5年以内に、最高の教育リソースは無料でウェブ上に現れてくることになるでしょう」という言葉がちょっとした話題になっているようです。ゲイツの発言の要旨はTechCrunch Japanの記事(こちら)で見ることができますが、そこでは、高等教育についてゲイツが「MITから与えられた学位であれ、ウェブから学んだものであれ、いずれも正統な評価を与えられるべきという考え」を持っていると述べられています。

このゲイツの発言と関連して、ネットが学び、特に高等教育に与える影響を考えさせられる記事を最近立て続けに読みました。そこから思いついたことを書いてみます。

まずは、講談社のサイト「現代ビジネス」に書かれた『世界初、学費無料のオンライン大学、ユニバーシティー・オブ・ザ・ピープルの試み』という記事です(こちら)。ここでは、正にゲイツの言葉を引きながら、ネット上での教育の新たな試みとしてUniversity of the People (UoP)のことが紹介されています。

このブログでも、もう1年半近く前になりますがUoPのことを取り上げました(こちら)。「現代ビジネス」の記事では、実際に大学が開校した後の様子が記されています。例えば約100ヵ国から延べ約500人の学生が入学していて年齢も幅広い*1といったことに加えて、授業料が無料とはいえ先進国からの生徒は単位を取るための試験にお金がかかるため卒業までに計4000ドル程度の出費が見込まれること、またアメリカで一般に「きちんとした大学」として認定されるためのAccreditionはまだ取得できていないことなどの課題についても触れられています。

UoPのこれまでの道のりが順調なものなのかどうかは、一概にはわかりません*2。でも、大学のウェブサイト(こちら)などは以前僕がエントリを書いた時よりも格段に内容が充実していることが窺え、個人的には着実に基盤を築きつつあるのではないかという印象を受けます。そして、UoPがサイトに掲載している以下のような「学生からの声」を読むと、確かにビル・ゲイツの発言と共鳴する部分を感じます。

University of the Peopleが、自分の母国(インドネシア)と世界中の教育を民主化してくれることを強く期待しています。インドネシアでは、強欲な人々が教育を利益を得るための機関にしてしまっています。(中略)でも彼らは、グローバルな競争相手がコンピュータを通して私たちの家にやって来ていることを知るべきです。(インドネシアの学生)

「第一世代」の学生の一人として、協働的な環境で学びたいという思いを持つすべての人にUoPを強く薦めたい。(スペインの学生)


そしてもう一つ、ネット上の学びについて気になった記事が、このブログでもたびたび取り上げている(関連エントリなど)TEDをテーマに、最近FAST COMPANY誌のサイトに掲載された"How TED Connects the Idea-Hungry Elite "という記事です(こちら)。

TEDは教育機関ではありませんが、この記事は、TEDの果たし得る教育的な役割に着目して以下のように述べています*3

偉大なアイデアとそこから生み出される人のつながり、これがTEDをユニークな現象にしている。(中略)「徹底的なオープンさ」と「アイデアが持つ、世界を変える力」を組み合わせることで、TEDは全く新しい何かを作り出そうとしている。それは新しいハーバード、つまりこの1世紀以上の中で初の、新しいトップクラスの教育ブランドなのではないかとさえ私は思っている。

もし、今の時代にトップレベルの大学を創設するのであれば、それはどのようなものになるだろう?すべての分野で、世界中から最高の頭脳を集めることから始めることになるだろう。(中略)物理的なインフラよりも技術面でのインフラに力を入れることで、持続的な経済モデルを作り上げるだろう。そして大学の持つリソースに人々がいつでも、どこからでもアクセスできるような強固なネットワークを構築し、学生たちに講堂以外の場所でも協働できるようなツールを与えるだろう。(中略)それら全てをやると、つまりはTEDのようなものになる。

このように、FAST COMPANYの記事では、TEDを「新たなハーバード」になぞらえてネット上での学びの新しいモデルと位置づけているのです。この記事の中にはビル・ゲイツの上記発言への言及などは一切見られませんが、述べられている内容はゲイツの言ったこととほとんど同一のベクトルを持っているように感じられます。

University of the PeopleとTEDの試みに共通しているのは、ネットを通して良質な高等教育、あるいは第一級の「学び」に対するアクセスの障壁を取り去ろうとしていることです。講義の質や授業料、時間、場所、国境、言葉、そしてともに学ぶ仲間たちといったことに対する障壁です。UoPやTEDが単独でこれら全てを満たしていると言うつもりはありませんが、これらのうちの多くを意図的にオープンにして自らの強みとしているという点は、両者に共通して見られる特徴です。

何よりもまず、基本的に無料で世界のどこからでも利用できる教育や学びのコンテンツを提供するというUoPやTEDの精神は、学生からそれなり以上の授業料を取って経営を成り立たせるという世界の大多数の大学とは根本的に考え方が違います。また、個別の取り組みとしてTEDはボランティアによる「オープン翻訳プロジェクト」(関連エントリ)で言葉の壁を越え、世界各地の有志がTED形式の独自イベント・「TEDx」を開けるようにすることで双方向性や参加者間のリアルなつながりを実現できるようにしていますし、UoPは、Open CourseWareという仕組みに賛同してネット上で無料公開された大学の講義を用い、学生同士のアイデア交換や議論、話し合いなどを通じて学習を進めていくという方法を取っています。

ここから読み取れる第二の特徴は、UoPにしろTEDにしろ、教育や学びにおける価値という側面から考えた時には、単独というよりもむしろ他の教育サービスと組み合わせられることで一層の効果を発揮するということです。他の教育機関が公開した講義を利用して授業を行うというUoPのアプローチは正に外部リソースとの連携ですし、前述のFAST COMPANYの記事で最近はTEDの講演が大学の講義やオリエンテーションなどで使われることもあると紹介されているように、TEDもひとつの利用方法として正規の教育機関にも取り入れられつつあるのです。

こうしたことを踏まえた上で、冒頭に挙げたビル・ゲイツの「ここ5年以内に、最高の教育リソースは無料でウェブ上に現れてくることになるでしょう」という言葉や「MITから与えられた学位であれ、ウェブから学んだものであれ、いずれも正統な評価を与えられるべきという考え」を再び眺めてみると、いくつかのことが見えてきます。

まず、TEDの例に見られるように、「最高の教育リソース」はある形を取って既に無料でウェブ上に現れてきているのではないかということ。そして、TEDの講演を取り入れた大学や、ネット上でオープン化された教育リソースを利用して講義を行うUoPなどは、ウェブから学んだことを正規の学位に結びつける試みと言えるのではないかということです。ゲイツが思い描いているような教育の形は、恐らく単一の組織によって提供されるものではありません。リソースとなる教育コンテンツを提供する団体やそれを正規の教育カリキュラムと組み合わせる機関、またそのコンテンツを元に参加者間の話し合いなどを発生させてより深い学びにつなげる場を提供する組織などが、相互につながることによって実現されていくものなのではないかという気がします。そしてそのような形での高等教育や学びを支えるのは、必ずしもネットかリアルかという二項対立の図式で考えられるものではなく、それぞれの強みを組み合わせたネットワーク型の教育サービスになるのではないかと思います。

*1:学生は18歳から72歳までいて平均32歳とのこと

*2:例えば、現代ビジネス」の記事には「大学経営を持続可能にするには合計で1万人〜1万5千人の生徒を受け入れる必要があるとされています。」とありました。500人というUoPの現在の学生数は、思ったほど学生が集まらなかったのかもしれませんし、人員やリソース、ネットワーク設備などの都合で当初はこれぐらいしか受け入れられなかった、ということになったのかもしれません。

*3:TEDの最初期から現在に至るまでの道のりとビジョンを上手にまとめた非常に面白い記事なので、興味のある方は是非全文を読んでみて下さい。

「The Times」紙のウェブサイト有料化に思うこと

前回はアメリカのHuluのことを取り上げましたが、イギリスでは新聞「The Times」がウェブサイトでの記事閲覧を有料化して2週間程度となりました。Paid Content UKの記事(こちら)によると*1、無料お試し期間に登録した人が15万人いて実際にお金を払う登録者となったのがこれまでに1万5千人、iPadのアプリを購入した人が1万2500人程度、とのことです。

数の多寡はおいておくとして、有料化された「The Times」のサイトを覗いて第一に感じたのは、大きな違和感でした。

http://www.thetimes.co.uk/tto/news/

トップページは他の新聞のサイトと変わらず見出しやリードが普通に出ているのに、そこから記事をクリックして読み進めようとするとリンクがブロックされ、有料サブスクリプションを薦める画面がポップアップで出てくるのです。その落差に対するフラストレーション、とも言い換えられます。例えば日経新聞のWeb刊であれば、記事によっては登録していなくても読めますし無料でも会員登録すればプラスαである程度の閲覧ができるようになりますが、「The Times」の場合はそうした"あそび"の部分がなく、恐らくはお金を払わなければ全く先に進めないようになっているのです*2

見方を変えればこれは、ウェブ上での新聞記事の全てを換金化しようとする、マードックを始めとする経営陣の強い決意の表れなのかもしれません。でも、新聞がジャーナリズムとしていくらかでも公共の利益への貢献を謳い、それをネット上でも広めようとするのであれば、これはちょっとやり過ぎなのではないかというのが僕の受けた印象でした。

多くの新聞は慈善事業ではありませんから存続のためには利益を出さなければならないのはもちろんですし、ネット上で無料でコンテンツを提供しようという動きが大きな壁に突き当たってきたこの1〜2年ほどの状況を見れば、「ネット上では全ての情報やコンテンツを無料にすべきだ」などとは言えないこともわかっています。ただ一方で、ローレンス・レッシグなどが言うように、デジタルの世界ではアナログ時代とは比較にならないほどコンテンツに対する企業側のコントロールを強めることができるというのも事実であり、「The Times」のようにトップページ以外は無料では全く記事を見せません、というのは、この「強過ぎるコントロール」の一例なのではないかという気がするのです。

例えば紙の新聞では、大きな事件があれば「号外」が出て駅前などで無料で配布されます*3。また、職場で取っている新聞や、喫茶店や病院の待合室、銀行の窓口などにある新聞を読んだり、あるいは(最近はあまり見かけなくなっているかもしれませんが)電車の荷物棚に誰かが置いていった新聞を拝借して読んだりといった形で、「緩やかな共有物」として新聞が利用されるということが一般的に行われてきました。ひとつの新聞が、限られた場の中で公共的な役割を担って何人もの人に読み継がれていくのです。

でも、ウェブベースの場合はそうしたことがしづらくなります。新聞のウェブサイト課金化の動きを見ればわかるように、デジタルの世界では、誰かがお金を払ってそれを共有するというのではなく、「個々人の関心に合わせたサービスを提供する代わりに支払いも利用者がひとりひとり行わなければならない」という方向に新聞社が新聞の読み方と課金方法をシフトさせているからです。

これが行き過ぎると、ネットユーザーにとって不便なだけでなく、デジタルの世界で新聞の公共性を弱めることにつながるのではないかと感じます。例えば、ネット上で全ての記事を有料化した新聞は、紙であれば無料で「号外」を出すほどの大きな出来事があった時、ネット上でそのニュースを無料公開するのでしょうか?仮にしたとしても、その新聞が「完全な有料サイト」と認識されていたら、あまり多くの人はそのニュースを見に来てくれないかもしれません。また、The Huffington Postや、ピューリッツァー賞の受賞でも話題になったNPOPro Publicaなどがネット専業のジャーナリズムとして成長している中で、「お金を払わなければネット上で記事を見せない」という手法は自らの存在感を弱める結果にもつながりかねません。

このように、ネット上での新聞記事の有料化はいくつかの微妙な問題をはらんでいます。無料と有料のバランスがどこに置かれることになるのか、しばらくは各社の模索が続くことになりそうです。

*1:元ネタはBeehive Cityという、The Timesの元記者らが立ちあげたブログ。

*2:公平を期すために付け加えると、「The Times」は、紙版を毎日宅配してもらう契約などをしている場合は追加料金なしでウェブサイトの記事を読むことができ、またネット版のみの購読の場合は週当たり2ポンド(280円程度)、つまり今はポンド安とはいえ月額1200円ぐらいです。価格面では日経よりもずっと安くなっています。

*3:イギリスでも号外という制度があるのかどうかは知りませんが。

始まったHuluの有料版「Hulu Plus」

アメリカでHuluのサブスクリプション式有料サービス「Hulu Plus」のベータ版が立ちあがってから10日あまりが経ちました。レビューなども出始めてきたので、そのあたりも含めて少しまとめてみます。

Huluによる発表(こちら)によると、「Hulu Plus」の概要は以下のようなものです。
・月額の利用料 9.99ドル。
・Huluで提供しているテレビ番組のほとんどについて、最新シーズンの全てのエピソードを視聴できる(通常版Huluの場合は、直近の5エピソード程度のみ)。
・X-FILE, Law and Order, Ally Mcbealといった過去の作品の全シーズンや、継続中のドラマGrey’s AnatomyやDesperate Housewivesなどのこれまでの全エピソードを視聴できる。
iPadiPhone(3GS, 4)でも見ることができる(通常版HuluはPC上でのみ試聴可)。
・登録は、申し込みをした上での招待制。
・有料だが広告もつく。

Huluが有料版のサービスを準備しているというのは何カ月も前から言われてきていたことなので、あまり驚きの声というのは見受けられません。むしろこの件を伝えるニュースやブログ記事などを読むと、「準備に意外と時間がかかったのね」という感想の方が多い気がします。とはいえ、これまでずっと無料でテレビ番組などの"プレミアムコンテンツ"をネット配信してきたHuluが正式に有料サービスを立ち上げたというのは、動画のネット配信ビジネスにおける大きな転換点なのではないかと感じられます。

当初一部で噂されていた、「CBSなど新しいパートナーが加わるのではないか」という見通しが外れたことを物足りないとする意見もありましたが、個人的には、今回の動きが意味しているのは「ネット配信ビジネスにおける各社の境界線が大きく崩れて来ている」ということなのではないかと思います。以前は、プレミアムコンテンツの無料ネット配信はネット上におけるテレビの代替(広告費をもとに無料で番組を提供)であり、iTunesなどのようなネット上での有料販売はDVDの代替だと言われていました。しかし、そうした区別がなくなってきているのです。

Hulu Plusのレビューを載せたPaid Contentの記事(こちら)にも、以下のような記述があります。

もし主に映画に関心を持っているならば、ひと月あたり9ドルで利用できるNetflixの基本プランの方が役に立つ。でも最新のテレビ番組が大事で、特にABCとNBC,FOX*1のプライムタイムの番組に興味があり、時々別の番組も見たいというのであれば、Hulu Plusに登録していくつもの番組を見るか、番組ごとにiTunesAmazonでシーズン・パス*2を購入することになるだろう。

Huluが有料サービスに乗り出したことによるライバル関係の激化を上手く表した文章だと思います。Netflixは映画中心のサービスですが、通常版Huluで現在100本以上の映画を提供していますので、今後この分野で有料サービスを強化することも十分に考えられます。実際、有料版も合わせたHuluの動向がNetflixの「DVDからウェブ・ストリーミングへのスムーズな転換」を妨げる要因になるかもしれない、というCitiの分析を、Silicon Alley Insiderが記事で紹介したりもしています(こちら)。

このように見てくると、動画のネット配信ビジネスの動向は、この1年ほどの間に起きた弱者の淘汰から大きく姿を変えてきているのがわかります。恐らくこれからは、動画の収益化に本腰を入れて来ているYoutubeも含めた、強者同士による、それぞれの縄張りが重なり合う本格的な競争が行われていくのでしょう。その中で各社がどこを自らの強みとするのか、そしてそれがユーザーにどのように受け入れられるのか、といったあたりが今後の見どころになってきそうです。

*1:注:いずれもHuluの親会社。

*2:その番組の1シーズンのエピソード全てがパッケージになったもの。

「つぶやき」と新聞を融合させる試み

今日、出先でたまたま「RT」と左上に大きく書かれたタブロイド版の新聞のようなものを見かけて、これは何だろうと手に取りました。よく見てみたら、毎日新聞が明日(6/1)創刊する「毎日RT」の見本版(5/30版)でした。

「毎日RT」は、毎日新聞のサイトに掲載された記事と、それに関連するツイッターのつぶやきを融合・再構成して紙面に落とした新しいタイプの新聞です。公式サイト(http://mainichi.jp/rt/)での説明を一部引用します。

「MAINICHI RT」は毎日新聞社がネットユーザーと作る新たな媒体です。過去24時間(休刊日の翌日は過去48時間)に毎日jpで読まれた記事をピックアップ。ツイッター(@mainichiRT)のコメントとともに掲載し、リアルタイムのコミュニケーションを目指します。毎日jpの検索ランキングやツイッターで話題になったトピッスも紹介します。転載してもよいつぶやきはハッシュタグ#mainichirtをつけてお願いします。

毎日新聞のプレスリリース(こちら)などによると、東京・神奈川・千葉・埼玉を対象にタブロイド版24ページで週6回発行し、月額1980円。当初は5万部の発行予定とのことです。

「毎日RT」のサイトにあるサンプルページ(こちら)を見ていただけると大体のイメージはつかめるかと思いますが、伝統的マスメディアの中枢に位置する全国紙にこんなことをさせるのかと、ツイッターインパクトの大きさを改めて感じたというのが第一印象でした。でも、と同時に、あくまで紙という媒体にこだわりながら新聞社がソーシャルメディアを取り込もうとする試みとして、こういう形もありなのかなとも思いました*1。一方で、これを有料展開するのはなかなか厳しいかもしれないなという気もしました。

一番興味深く感じたのは、読者からのつぶやきという感想や批評を加えることによって「最新ではないニュース」にも価値を持たせようという取り組みに新聞社自体が本格的に乗り出した、ということです。”新聞は1日た経てばただの紙”なんてことが昔から言われてきていますが、「毎日RT」の試みは、アーカイブとしての記事利用(データベースなど)やウェブサイトに記事を載せて広告収入を得るといったことよりもずっと積極的な「過去記事」(といっても直近の過去ですが)再利用の試みにもなり得るものだと思います。

自分のことを考えても、最近は新聞に期待することが「最新のニュースを得る」ことから「面白い企画記事やインタビューを読む」ことにシフトしているような気がします。時間がないときなど、数日間分をまとめて後で読むということも珍しくありません。企画記事には即時性があまり問題にならないものも多くあるので、数日後に読んでも面白いものは面白いのです。自分にとっては、関心分野を掘り下げた特集や、それまで知らなかった・関心がなかった様々な分野や人に興味を抱かせてくれるような企画に出会ったりすることが、新聞の購読を継続している最大の理由です。だとすると、必ずしも「紙面に載せられる最新のニュース」が中心ではない新聞というのがあっても良いのかもしれません*2

ただ一方で、そうした「新聞」が多くの人からお金を払ってもらえるほどのものとなるためには、余程の工夫が必要となるでしょう。例えばツイッターでのつぶやきによる論説や批評になるほどと思うこともしばしばあるのは確かですが、それはフォローする人をきちんと選んでいれば新聞の編集機能に頼らずともある程度は自動的に自分のところに流れてくるものだったりします。「毎日RT」は紙面を見る限り比較的若い年代を対象にしているように感じられましたが、そうした人々を唸らせる程の情報収集力・整理力でツイッターのつぶやきを紙面と融合させなければ、これを大きな「売り」にすることはできません。またサンプル版を読んだ限りでの印象ですが、「毎日RT」は紙面が限られているために文章量も全体的に少なく、企画やインタビューを大々的に展開するのは難しそうだなという感じも受けました*3

正直なところを言うと、ツイッターでのつぶやきを利用した過去記事の再構成・再利用などは、週に1回、土曜か日曜に普通の新聞の朝刊の特集面などで企画としてまとめてやってくれればすごく面白そうなのになという気がします。あるいは、ロンドンの地下鉄圏を中心に配布されている「Metro」のような無料紙であれば、こうした取り組みは相性が良いかもしれないな、とも。そうではなく、つぶやきとの連携を独立させたひとつのメディアとして、しかも紙媒体の有料新聞として展開するのは、なかなかハードルの高いことだと感じます。でも、新聞とソーシャルメディアを融合させようというせっかくの新たな試み、何とかして上手く行く道筋を見つけてほしいなと思います。

<追記 6/1>
今朝の「鳩山首相 辞意表明」のニュースを見て、毎日RTはどんな対応をしてるんだろうかと確認してみたら、毎日新聞の号外(PDF)へのリンク(こちら)がつぶやかれていたりしました。こういう使い方っていいなと感じました。

*1:ただ、僕が読んだ5/30版のサンプルでは、実際にツイッターでのつぶやきが掲載されていたのは24ページ中4ページのみ。まだ創刊前でハッシュタグをつけられたつぶやきが少ないといった事情もあるのでしょうが、連携のさせ方は発展の余地がありそうです。

*2:それを「新聞」と呼ぶべきなのかどうかは別として。

*3:テリー伊東のコラムなどは載っていましたが。

PBSに見る視聴者とのエンゲージメント

アメリカの公共テレPBSが、この春面白いキャンペーンをしていました。視聴者に呼び掛けて、PBSのオンラインでの取り組みをPRする30秒程度の動画を制作・応募してもらおうというものです。

Your PBS Video Contest http://memelabs.com/pbs/

テレビ局がネット上のユーザー作成コンテンツを取り込もうとする試みのひとつだと言ってしまえばそれまでなのですが、このキャンペーンに特別興味を持ったのは2つ理由があります。まず、PBSのネットへの意気込みをよく表している試みだったこと。そして応募作品から、視聴者とPBSの強い結びつきが感じられたことです。

巨大メディアコングロマリットの傘下が大きな影響力を持っているアメリカのテレビ業界において、PBSはあまり目立たない存在です。日本で言うならば「ニュースもやる教育テレビ」といった感じのイメージでしょうか。でもそんなお堅いテレビ・ネットワークが、このところネット上でのサービス展開を加速させています。例えばアメリカの他の多くのテレビ局と同様、PBSも自社の番組をネットでも配信していますが、ドキュメンタリーなど一部の主力番組はアメリカ国外からでもネット上で視聴できるようにしています*1。また、「セサミ・ストリート」や「Curious George (おさるのジョージ)」などをラインナップに持つ子ども向けのPBS Kidsのサイトには番組と連携した動画や教育ゲームが豊富にありますし、それと対をなす親向けのPBS Parentsでは、番組やキャラクターを使った子どもとの接し方がいろいろと紹介されています。どちらもかなり充実したコンテンツを揃えています。さらに最近では、複数のTwitterアカウント (@PBS, @PBSKids, @PBSVideo, @PBSTeachers, @PBSTeachersなど)を利用した情報提供やFacebook上でのページ展開に加えて、自社サイト上にSocial Media Labというページを設け、実験的なものを含めた各種の試みをオープンに公開しています。こうした事例が積みあがっていく様を見ると、PBSが、「テレビが主、ネットが従」という従来の捉え方から「テレビでも、ネットでも」という方向に意識をシフトさせつつあることが感じられます。

そして、これらの取り組みをより広く人々に知ってもらおうという狙いで行われたのがYour PBS Video Contestです。18歳以上でアメリカに合法的に居住していることが参加資格で、「オンラインでPBSとどう関わっているか (How you engage with PBS online)」を表す30秒程度の動画クリップを作成するというのがテーマです。一応優秀作品には賞品が出るのですが、最優秀作品の副賞がテキサス州のオースティンに招待されPBSの開発中の新番組を見たり幹部と話をしたりといったツアーで、優秀賞5作品には500ドル相当の景品とギフト券と、金額ベースで考えるとそれほど高額なものではありません。でも、寄せられた作品は非常にレベルの高いものでした。

いくつか、作品を紹介します。まずは最優秀賞。
● "PBS Taught Me" by Michael Kelvin Lee (こちら


次に、作品を見た視聴者からの支持を最も集めたPeople's Choice賞。
● "Online to Explore" by Henry Michael Basta, Jr. (こちら


そして、優秀賞のひとつで、僕が個人的に一番気に入った作品。
● "The PBS Song" by Cole Williams (こちら


5年前なら「PBS」と「ネット」と「ラップ」を結びつけることなど誰にも思いつかなかったでしょうが、"The PBS Song"ではそれらが見事にまとめ上げられています。

Your PBS Video Contestの取り組みを知った時は、正直、子どもと中高年が主要な視聴者ではないかと思われるPBSがユーザー作成コンテンツを募集するのはちょっと場違いなんじゃないか、という気がしました。でもこうして出来上がった作品たちを見ると、PBSには若い世代のサポーターも多くいて、彼らがものすごいクリエイティビティを発揮してくれたのだということがわかります。実際これは、「PBSには難しい」のではなくて「PBSだからこそ成功した」キャンペーンに仕上がったな、というのが今の感想です。

例えば、上に紹介したCole Williamsは作品に添えたひと言の中でこう書いています。

それ(PBS)は、オーガニックな感触を残した本当に数少ないチャンネルのひとつさ。

また、別の優秀賞作品"My PBS"(こちら)の中で作者のJeremiah Mayhewは「僕にとってPBSというのはつまりインスピレーションなんだ」(To me, PBS equals inspiration.)と述べ、"Tuned Out?" (こちら)の作者Stefan Ganchevは「まだ、PBSとつながるのにテレビが必要だと思ってるの?」(still think you need a TV to be connected with PBS?)と言っています。

こうしたコメントから感じられるのは、「商業的な価値を追わない」というPBSのあり方と「ネットでのサービスに本気で取り組む」という姿勢が若者たちの共感を呼び、(優秀作品には賞品があるにしろ)無償でこのキャンペーンに関わってみようという気持ちにさせたのではないかということです。この2つの要素は、どちらも欠かすことのできないものです。公共テレビであるPBSの価値観に好意を持っていたとしても、もしこれがテレビでのPBSの取り組みを扱うキャンペーンであったなら、恐らく成功はしなかったでしょう。逆に公共性を最優先しない他のテレビ局などが自社のネットでの取り組みをPRしようとしても、ここまで熱心な参加者たちは集まらなかったのではないかという気がします。

ある主体が自分の共感できる価値観を持っていることと、自分が日々活動し、大切にしているフィールドにその主体が真摯に歩み寄って来てくれていることが実感できること。今回のケースで言えば「主体」がPBSで「フィールド」がインターネットに当たるのですが、この2つが組み合わさった時にサービスの提供者と利用者の間でエンゲージメントが生まれるのだろうな、と思いました。

*1:以前「Digital Nation」という番組のことを書きましたが(こちら)、これもPBSの番組です。

最近のTEDトークより

先日はTEDのオープンTVプロジェクトについて書きましたが、今回は自分が最近見た日本語字幕付きのTEDトークの中から、このブログでも取り上げているような話題と関連していて面白いなと感じたものをいくつか紹介します。

ジョナサン・ジットレイン「親切に支えられたウェブ」
  (原題:Jonathan Zittrain: The Web as random acts of kindness)

昨年出版された本『インターネットが死ぬ日』の著者による講演です。本職はハーバード大の法学者。上記の本の紹介文では「いわゆる『エルドレット対アシュクロフト訴訟』ではローレンス・レッシグとともに著作権延長に反対する論陣を張ったことで知られる。」と書いてありますが*1レッシグがハーバードに移った今は同僚でもあります。本ではどちらかというとネットの将来に警鐘を鳴らすような内容が主だったのですが、TEDトークの方ではむしろネットの持つ「生み出す力」をクローズアップしたものになっています。ユーモアを交えた語り口とも相まって、ウェブにはいろいろな問題もあるにせよ、ウェブの発展を支えてきた人々の「親切」というのは今でも健在なんだな、ということを感じさせてくれるトークです。


ラリテス・カトラガダ:経済発展のため、災害と戦うための地図作成
  (原題:Lalitesh Katragadda: Making maps to fight disaster, build economies)
Googleのエンジニアによる、ユーザー参加型の地図編集サービス「Google Map Maker」とその活用事例の紹介です*2。以前にこのブログで、カリフォルニアでの山火事の際にLA TimesがGoogle Mapsを使って現地の情報をきめ細かく地図に落とし込んで提供したという話題を取り上げたことがあります(こちら)。そうした取り組みをよりユーザー主導でオープンに行っていこうというのが「Google Map Maker」のコンセプトなんだろうな、と感じました。


ティム・バーナーズ=リー 「オープンデータとマッシュアップで変わる世界」
  (原題:Tim Berners-Lee: The year open data went worldwide)
World Wide Webの仕組みを考案した人として知られるティム・バーナーズ=リーによる講演です。自治体や公的機関などが自らの持つ各種の生データをウェブ上に公開するとこんなに面白いマッシュアップのサービスが生まれてくる、ということを、実例を挙げながら示してくれます。「生データ」と「ユニークな切り口」、そして「ビジュアル化のセンス・技術」がウェブ上で結びつくことの可能性の大きさを実感させてくれるトークです。上に挙げたラリテス・カトラガダのトークと重なる部分もありますが、そちらが協同的な地図の作成に焦点を絞っているのに対し、こちらは誰でも参加できるオープンさを持っているかどうかに関わらず、生データとクリエイターのつながりから何かが生まれるという関係性を重視したアプローチになっています*3


デレク・シヴァーズ 「社会運動はどうやって起こすか」
  (原題:Derek Sivers: How to start a movement)
イラン大統領選の際に見られたTwitterの使われ方などが示しているように、ソーシャル・メディアは社会運動とも無縁ではなくなりつつあります。使い方次第でポジティブな方向にもネガティブな方向にも転がっていくものだと思いますが、「ムーブメントを起こす上では、リーダーのみでなく最初期のフォロワーが果たす役割が極めて重要なのだ」というシヴァーズの主張にはなるほどと思わせられました。そしてこうしたフォロワーがついた時にそこから爆発的にそのムーブメントを広める有力な媒体となるのがソーシャル・メディアなんだろうなと感じました。


シンシア・シュナイダー「視聴者オーディション番組の驚くべき広がり」
  (原題:Cynthia Schneider: The surprising spread of "Idol" TV)
上に挙げた他のトークとはちょっと毛色が違いますが、テレビや新聞といった伝統メディアはもう時代遅れだ、という見方もある中で、場所が変わればテレビが今でもこれだけ人々を惹きつけるメディアであり続けているんだ、ということが感じられるトークです。アフガニスタンの荒涼とした大地を、テレビの時間に間に合うよう必死で進む少年の姿などは、この地でテレビが持つすさまじい力を教えてくれます。そして、それだけの人気を持っている番組がドラマなどではなく視聴者参加型の「リアリティ・ショー」である、というところに驚かされます。視聴者オーディション番組がローカライズされて、一方では現地の文化を色濃く反映しつつ、他方では旧来の慣習に風穴をあけることにもつながっている、という点に大きな興味を覚えました。


全てのTEDトークをチェックしている訳ではありませんので他にも面白いものは沢山あるかもしれませんが、このブログを興味を持って読んで下さっている方は、恐らくここに紹介したTEDトークもお楽しみいただけるのではないかと思います。ジョナサン・ジットレインのトーク以外はいずれも5分程度かそれ以下の短いものです。

それからTEDと言えば、明日5/15(土)にTEDxTokyo 2010が開催されますね。当日の模様をTEDxTokyoのサイトライブストリーミングするということで、こちらも楽しみなところです。

*1:Amazonの作品紹介ページより抜粋。

*2:Google Map Maker」について詳しくは、Internet Watchの記事などを参照。

*3:どちらが良いということではありません。

iPadとリアル世界のコミュニケーション

日本でもiPadの予約が開始されました。個人的にはすぐに購入するかしばらく様子を見るかまだ考えていたところなのですが、ボストン在住のジャーナリスト・菅谷明子さんのブログに書かれていたiPad体験記を読んで、ぐっと心が動かされました。

Harvard Square Journal ~ 「究極の大学街」で考えるあれこれ
 「ボストン発、iPad体験記: 家族の会話と知の創造の場である食卓に溶け込む魅力」

すごく興味深いエントリなので是非お読みいただきたいのですが、ここで菅谷さんは、食卓やリビングなど家族が顔をそろえる場所にiPadを持ちこむことで、何気ない会話のとっかかりをすぐにiPadで拡張することができ、それによって家族の絆を強めたり会話をより豊かなものにするといった効果が生まれ得るといった趣旨のことを述べています。

印象に残った箇所を2つ引用します。

iPad の利点は、家族がお互いの顔を見ながら会話を妨げずに、話題にのぼった文脈情報を、家族で即検索してシェアできる点にある。例えば、テレビの場合は、どうしても番組の展開に支配され、話す話題をコントロールしにくく、視線も画面に向いてしまいがち。また、これまでノートブックパソコンも使って来たが、サイズやクラムシェル型のため、各人がそれぞれの世界に入って行ってしまい、むしろ会話を阻止してしまうことも多い。(中略)その点iPadは立てかけて皆で見ることもできるけれど、何より手に取って皆で回し見られるし、画面を逆さにして、相手に見せる事も簡単だ。機能だけでなく、サイズやデザインがいかに大切なのかを強く実感した。つまりiPadは、グループの自然な会話を妨げずに、文脈情報を提供し、場にすんなり溶け込むものなのである。

とは言っても、勿論、iPadさえあれば、全てが上手く行くとは限らない。あくまでも主役になるのは会話であり、iPadは必要に応じて登場する脇役である。

これを読んで強く感じたのは、「iPadは、そのコンピュータとしての『機能』だけでなく、それを媒介にしてリアルな世界でどんなコミュニケーションを生み出せるのかという『場に与える影響』という面にも着目しなければならないデバイスなのではないか」ということです。そしてこのように考えると、iPhoneiPadの類似点と相違点がはっきりと見えてくる気がします。機能面では、スクリーンの大きさは違えどiPadiPhoneとあまり変わらない点も多くあります。「大きなiPhone」などと言われる所以です。でも場に与える影響という点で考えると、iPadiPhoneは全く別の存在になります。iPadiPhoneよりも遥かに「その場にいる人々に体験を共有させる力」が強いのです。

この「共有するためのデバイス」というのは面白いポイントで、例えば友人や家族でiPadを囲んで何かを見たり体験したりするというのは、任天堂がDSを売る際に「1家に1台ではなく1人に1台」を目指す(BB Watchの記事などを参照)としていたのとは対照的です。こうした思想を持つデバイスがユーザーにどのように受け入れられていくのか、とても興味があります。iPadのことを考える時は、動画再生機や電子ブックリーダーといった面ばかりでなく、それがリアルな世界で接する人々の間にどんなコミュニケーションを巻き起こして行くのかという点にも注目していきたいと思います。