iPadとリアル世界のコミュニケーション

日本でもiPadの予約が開始されました。個人的にはすぐに購入するかしばらく様子を見るかまだ考えていたところなのですが、ボストン在住のジャーナリスト・菅谷明子さんのブログに書かれていたiPad体験記を読んで、ぐっと心が動かされました。

Harvard Square Journal ~ 「究極の大学街」で考えるあれこれ
 「ボストン発、iPad体験記: 家族の会話と知の創造の場である食卓に溶け込む魅力」

すごく興味深いエントリなので是非お読みいただきたいのですが、ここで菅谷さんは、食卓やリビングなど家族が顔をそろえる場所にiPadを持ちこむことで、何気ない会話のとっかかりをすぐにiPadで拡張することができ、それによって家族の絆を強めたり会話をより豊かなものにするといった効果が生まれ得るといった趣旨のことを述べています。

印象に残った箇所を2つ引用します。

iPad の利点は、家族がお互いの顔を見ながら会話を妨げずに、話題にのぼった文脈情報を、家族で即検索してシェアできる点にある。例えば、テレビの場合は、どうしても番組の展開に支配され、話す話題をコントロールしにくく、視線も画面に向いてしまいがち。また、これまでノートブックパソコンも使って来たが、サイズやクラムシェル型のため、各人がそれぞれの世界に入って行ってしまい、むしろ会話を阻止してしまうことも多い。(中略)その点iPadは立てかけて皆で見ることもできるけれど、何より手に取って皆で回し見られるし、画面を逆さにして、相手に見せる事も簡単だ。機能だけでなく、サイズやデザインがいかに大切なのかを強く実感した。つまりiPadは、グループの自然な会話を妨げずに、文脈情報を提供し、場にすんなり溶け込むものなのである。

とは言っても、勿論、iPadさえあれば、全てが上手く行くとは限らない。あくまでも主役になるのは会話であり、iPadは必要に応じて登場する脇役である。

これを読んで強く感じたのは、「iPadは、そのコンピュータとしての『機能』だけでなく、それを媒介にしてリアルな世界でどんなコミュニケーションを生み出せるのかという『場に与える影響』という面にも着目しなければならないデバイスなのではないか」ということです。そしてこのように考えると、iPhoneiPadの類似点と相違点がはっきりと見えてくる気がします。機能面では、スクリーンの大きさは違えどiPadiPhoneとあまり変わらない点も多くあります。「大きなiPhone」などと言われる所以です。でも場に与える影響という点で考えると、iPadiPhoneは全く別の存在になります。iPadiPhoneよりも遥かに「その場にいる人々に体験を共有させる力」が強いのです。

この「共有するためのデバイス」というのは面白いポイントで、例えば友人や家族でiPadを囲んで何かを見たり体験したりするというのは、任天堂がDSを売る際に「1家に1台ではなく1人に1台」を目指す(BB Watchの記事などを参照)としていたのとは対照的です。こうした思想を持つデバイスがユーザーにどのように受け入れられていくのか、とても興味があります。iPadのことを考える時は、動画再生機や電子ブックリーダーといった面ばかりでなく、それがリアルな世界で接する人々の間にどんなコミュニケーションを巻き起こして行くのかという点にも注目していきたいと思います。