Playing for Changeの「Imagine」

世界中のミュージシャンたちが一つの曲を歌い継ぎ、音楽を通して人々をつなおうというプロジェクト「Playing for Change」。以前このブログでも紹介したことがありますし(こちらこちら)、大和証券グループのCMに使われたりといったことでも知名度を上げてきました。

そして今日、自分が登録しているPlaying for Changeのeメールニュースから"Season's Greetings"として届いたのが、「新録したジョン・レノンの『Imagine』をネット上で公開した」という知らせでした。これも素晴らしい出来映えだったので紹介します。

Imagine from PlayingForChangeFoundation on Vimeo.


楽曲の良さは言うまでもなく、参加しているミュージシャンたちが心をこめて、そして本当に楽しそうに歌い演奏している姿が、同じくPlaying for Changeの「Stand By Me」や「One Love」などと同様、とても印象的です。音楽の持つ力というものを、改めて感じました。

「I」と「You」と「We」のメディア

メディア系の製品やサービスでは、この5〜10年ほどの間に「I」や「You」といった名前を冠したものが大きな勢力を持つようになっています。製品やサービスの名前には、それに込められた思いやコンセプトが色濃く反映するものです。こうした「人称代名詞」とネット上でのサービスについて、かなり荒い考えですが、思いついたことを書いてみます。

「I」のメディア
「I」のつくメディアの製品・サービスといえば、まずはiPodiTunesです。これらは楽曲の購入や携帯機器への取り込みの仕方をガラリと変え、ユーザーの自由度を飛躍的に高めました。セットになった2つの「I」で、"自分仕様"の携帯音楽プレイヤーが簡単に作れるようになったのです。

それ以降も、AppleiPhoneiPadなどを出して行きますが、他社でも、BBCがオンデマンドによるネット配信サービスをiPlayerと命名し、任天堂も最新型の携帯ゲーム機をDSiと名づけるなど、「I」のメディアが広がっていきます。使い手の自由度を高め「自分主体」の楽しみ方ができるように作られた製品やサービスである、という意味での「I」だと考えることができます。

「You」のメディア
一方、YouTubeの登場に伴い、「You」のサービスも大きな注目を集めるようになりました。この分野ではYouTubeがあまりに兄弟で"その他"がなかなか現れてこなかったのですが、昨年あたりから急速に表舞台に出てきたのがUSTREAMです。これらは、従来はマスメディアが担っていた動画コンテンツの作成と配信をユーザーが行えるという意味で(企業とユーザーの関係)、そして他のユーザーがアップロードした大量の動画を楽しむことができるという意味で(ユーザーとユーザーの関係)、「You」なのです。運営企業にとっての収益性はともかく、ユーザーにとってはどちらも極めてインパクトの大きなサービスです。

We」のメディア
このように、ネット・メディアの世界では「I」が飛躍し、「You」も急成長してきました。人称代名詞は、自己と他者をポジショニングする上で非常に大きな力を持つ言葉です。そして、「I」と「You」が現れたとなると、次に来るのは「We」なのだろうか、というところが気になってきます。HeやShe, Theyのような、"私"でも"あなた"でもない三人称の製品やサービスは、訴求力の持ちようがありません。人称代名詞系のメディアで新しい方向性を探すとなれば、後は「We」のメディアだけということになります。"自分に便利"が大切な「I」メディア、"あなた"に視点が向いた「You」メディアに対し、「We」メディアは、"ともに何かを行おう"という志向性を持ったものになるはずです。

Weは複数形の「私たち」なので、最もシンプルに We を I と You との関係で表すとこうなります。

・We = I + You

しかし、単純に上に挙げた「I」のメディアに「You」の要素を組み合わせたとしても、それが「We」になるとは限りません。例えばiPhoneYouTubeを視聴したとしても、あるいはiPhoneを使ってUSTREAMの中継を行ったとしても、I + You = I + You だけで終わってしまうかもしれません。「We」を生み出すためには、「I」と「You」がある程度融合し、同じ方向を向く必要があります。

「We」メディアの作り方
「We」メディアを作り出す際に重要な役割を果たすのが、FacebookTwitterなどのソーシャル系サービスなのではないかという気がします。FacebookTwitterのどちらがより「We」作りに向いているのかは、一概にはわかりません。ただ言えるのは、両者とも元々「We」を主眼に置いたサービスというよりも「I」と「You」をつなぐ(I + You )ことを念頭に置いたものだったけれど、そのつなぎ方はただの足し算だけではなく、時に「I」と「You」のつながりの範囲や密度を大きく伸長させることがある、ということです。「I」と「You」が範囲(人数)を拡大しながらお互いに繰り返し密度の濃いやり取りをしていくという意味で、これは「I x You」と表せます。そして、こう言う時に「We」が生まれやすくなるのではないかと思います。

つまり、単体としての「We」メディアというものは現時点では存在していない*1けれど、「I」メディアや「You」メディアを用いつつソーシャル系のサービスでつながりの環や強さを成長させていくという複層的な環境の中で、「We」メディアと呼べるようなものが生まれ得るのではないでしょうか。この関係性は以下のように表せます。

・We = I x You

"ともに何かを行おう"という志向性を持ったものが「We」メディアだとすれば、それはただ「I」と「You」がともにいるだけで生まれるのではなく、「I」と「You」のより広く深いつながりが必要なのです。そして、「I」メディアや「You」メディア、ソーシャル系サービスの普及により、その環境は整いつつあります。個々人の興味や関心に合わせ、オープンな形でこうした「We」メディアがどんどん立ち現われてくると、それはとても面白いことになるのではないかと感じています。



(補足)
「We」のメディアを作るということは、ある意味コミュニティを作ることと似ている気がします。例えば、家族や友人などリアルな世界で緊密な関係を持つ人々を家庭用ゲーム機の世界でも結びつけることに成功した任天堂Wii *2や、特定の趣味や関心を軸に形成されたオンラインのコミュニティなどは、比較的少人数を対象にした「We」メディアだと言えるのかもしれません。一方、2008年米大統領選でのオバマのキャンペーンは、カンヌの広告祭でグランプリを受賞したことからもわかるように、メディアの力を効果的に利用したムーブメントでした。"Yes, We Can"をスローガンにした、超巨大かつテーマ型・期間限定型の「We」メディアだったのだと思います。

*1:自分が知らないだけかもしれませんが、少なくとも一般に広く影響を与える形では存在していないと思います。

*2:ネーミングからも「We」を強く意識していることがわかります。

BoxeeがTEDの公式アプリを公開

今日はごく短いエントリですが、気になる話題があったので簡単に記します。BoxeeにTEDの公式アプリができた、という話題です。

・TED Blog | Try the TED App on Boxee
・Boxee Blog | Have you met TED?

BoxeeとTEDが共同で、Boxee上で「非常にシンプルでエレガント」にTEDトークブラウジングして視聴することができるAppを開発したんだそうです。

興味深いのは、動画のネット配信ビジネスにおいてテレビ番組や映画などが有料化・囲い込みの方向に動いているのに対し、BoxeeがTEDのようなオープン化の最前線を走りかつ極めて品の高いコンテンツを持つところと手を結んだ点です。

今回の件に関して、BoxeeのCEOであるAvner Ronenは、こう語ったそうです。

TEDは、ウェブ限定のコンテンツの中でテレビでも視聴できるようにすべき最たるものである。

確かに、TEDのようなコンテンツがテレビ画面で簡単に見られるというのは魅力的です。現在アメリカでプレ・オーダーを受け付けているBoxee Boxがどれほどの支持を集めるのかはわかりませんが、このようなアプローチでネットとテレビをつなごうとしているBoxeeの取り組みに注目したいと思います。

放送大学が一部講義をネット公開へ

9/29付け日経新聞の片隅に、「放送大学が授業の一部をネットで無料配信する」という小さな記事がありました(ネット上ではスポーツ報知の記事が載っていました)。先日のエントリ(こちら)で放送大学とイギリスのOpen Universityを比較し、放送大学ももっとネットを活用してほしいと書いたところだったので、これは嬉しい発表です。

放送大学の告知ページは(こちら)です。今回の取り組みは、MITに始まったOpen Coursewareの流れを組み、「放送大学オープンコースウェア」という名称がついています。公開は10月1日から。最初に配信されるのはテレビ授業科目4科目、ラジオ授業科目8科目、特別講義5番組とのことです。ぱっと見た感じでは、テレビでは「空間とベクトル」「コンピュータのしくみ」といった数学・工学系、ラジオでは「環境と社会」「教育心理学概論」といった人文・社会科学系の講義が多くなっています*1

東大や慶応などがiTunes Uで一部講義を配信するという少し前の発表と比べると、残念ながら今回の放送大学の取り組みは、かなり注目度が低いように見受けられます。でも、元々の講義が講堂や大教室ではなく、テレビやラジオといった「リアルな場を共有しない人たち」に向けて作られたものですから、講義の長さも演出も、ネットでの独習により向いているものが多いのではないかという気がします。また、当初公開される講義数は決して多くはありませんが、上記スポーツ報知の記事には「今後は5〜6年で、配信科目・講義を50ぐらいまで増やす予定」と書かれていますから、そういう面でも今後の発展が期待されます。

先日、梅田望夫さんと飯吉透さんの『ウェブで学ぶ−オープンエデュケーションと知の革命』を読んだ簡単な感想を記しましたが(こちら)、学びや教育のオープン化という潮流は、非常にワクワクするものであると同時に、それを最先端のところでフルに活用するためには、ほとんどの場合かなり高いレベルの英語力が求められるものだなとも感じていました。でも、iTunes Uや放送大学の例に見られるように、少しずつではありますが日本語でもネットを通じた学びの環境が整備されつつあります。こうした動きはどんどん前へ進んでいって欲しいと思いますが、それは一方で、各種の学びの機会をどう活用するか(あるいはしないのか)がユーザー側にも投げかけられるようになってくるということでもあります。オープンな学びの環境は、その中での自らの立ち位置やアプローチを考えることの重要性と対をなして広まっていくのかもしれません。

*1:学位取得につなげるには放送大学への入学が必要、とのことです。

『ウェブで学ぶ』を読んで

梅田望夫・飯吉透著『ウェブで学ぶ−オープンエデュケーションと知の革命』を読みました。そこで紹介されている、「知と情報」をウェブ上で広く公開するための取り組みの数々に、止まらぬ高揚感を覚えました。

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飯吉さんによると、「オープンエデュケーション」には3つの構成要素があります。MITのOpen CourseWare(OCW)のような、教材に関する「オープン・コンテンツ」。教え方についての知識やノウハウに関する「オープン・ナレッジ」。そして教材や提出物のやり取りやコミュニケーション、成績評価などを行うツールに関する「オープン・ツール」です。この区分を読んで、「オープンエデュケーション」と呼ばれる取り組みの一部に対してどこかで感じていた引っかかりが解消されました。自分が「オープンエデュケーション」に期待しているのは、ただ教材や講義の動画を公開するだけでなく、それらを利用して効果的に学習が進むような仕組みまでを提供してくれることだということがはっきりと理解できたのです。そのためには、教え方についての知識や、ウェブ上で学習やコミュニケーションをスムーズに進めるためのツールが欠かせません。そして、そうした環境を整えることが、自発的な学び、つまり「オープンラーニング」をさらに促進していくのでしょう(オープンエデュケーションとオープンラーニングの関係については、前回のエントリを参照)。

OCWのプロジェクトが、MITでビジネスモデルを検討した結果「これはビジネスとしては成立しない」という結論になり、そこから議論が大転換して無料公開してしまうことになったというのも、非常に興味深い話です。このブログでも度々取り上げているように、アメリカのメディア・エンターテインメント業界では、ハリウッドに代表されるようにコンテンツの権利を徹底的に細分化・管理して収益に結び付けようという動きが当たり前のように行われています。彼らにとってはネット上でコンテンツを換金化するのが目下最大の関心事なのです。そんな国で、教育の世界とはいえ高額の学費を取る名門私立大学が、ふとした流れで(!)教材をネット上に解放してしまったのだから、そのインパクトは大変なものがあったはずです。こうした懐の深さが、アメリカの凄さなんだろうなと感じます。

「オープンエデュケーション」はまだまだ発展途上だとはいえ、現時点でもウェブ上にこれだけ学びのリソースがあるのだとすると「あとは使う側のやる気の問題だよ」と言われても仕方ない気がします。できる範囲でではありますが、自分もこれらを活用して、オープンな学びの道を進んでいきたいと思います。

「Open Learning」と「Open Education」

直近の2回のエントリ(こちらこちら)で、学びの場としてのネットについて取り上げましたが、その過程で気になり始めたことがあります。それは、「Open Learning」と「Open Education」という言葉についてです。

これは、ネット上で学習の機会やリソースに対するアクセスを広く公開する動きを指す言葉です*1。直近2回のエントリの中では自分でも特に両者を区別していなかったのですが、段々とこれらはそこに含まれる意味合いやポジショニングが違うのではないだろうかという感覚が生じてきました。そこで今回は、この2つの言葉が持つベクトルについて、自分なりに感じたことを書いてみます。

結論を先に述べると、個人的には、「Open Learning」を推進するためのひとつの有力な手段として「Open Education」があるのではないかという気がしています。金銭面や時間、場所など諸々の制約を取っ払って、"学びたい"というニーズに可能な限り広く応えるのが「Open Learning」に込められた意味で、その学習のためのプログラムを組織的・系統的に提供しようというのが「Open Education」なのではないでしょうか*2

「Open Learning」も「Open Education」も非常に意義のあることだと思うのですが、前者が"学び手"の側に寄り添っているのに対し、後者は"教える側"に視点を置いているように感じられます。これは、例えばCambridge Advanced Learners' Dictionary(こちら)で、Learnには「新たな科目や活動において知識やスキルを得ること」、Educateには「誰かを、特に正式な学校や大学のシステムの中で教えること」という意味が当てられていることからも言えることだと思います。そして、ネット上では、ユーザー側の自発的な行為を支援する前者をベースにしたアプローチの方がより有効なのではないかという気がします。

もちろん、「Open Learning」と「Open Education」は必ずしも対立する概念ではありません。学びの環境をオープンにするために教育サービスをオープンにする、というのは理想形の一つであり、実際そうした試みも行われています。でも、明示的であるかどうかは別にして「Open Learning」や「Open Education」に関連する団体やサービスが、必ずしも同じ方向を向いているとも言えません。

ここからは前2回のエントリで取り上げた組織などを例に挙げながら書いていきますが*3、例えばTEDは以前も書いたように教育機関ではありません。「アイデアを広める」ことを目的とした組織です。FAST COMPANY誌の記事で"新しいハーバード"とまで持ち上げられていたとしても、TEDがウェブ上で取っている、各分野の一流の人々が行う講演を無料で、地理的な制約や言語面での障壁をなくして提供しようという手法は、「Open Education」ではなく「Open Learning」に近いものです。

一方、イギリスのOpen Universityのアプローチは両者の混合型だと言えます。まず、その名もOpen Learnという、この大学に蓄積された講義を元にした、単位などとは関係のない無料学習コンテンツを大量に提供して「Open Learning」を推進しています。また、正規の教育である学士や修士号に向けたプログラムでも、ネットを重点的に利用して受講生が自分のペースで進めやすい柔軟性のあるプログラムを提供しています。教育の環境をなるべくオープンにすること(Open Education)によって、学びに対する需要に幅広く応えようとしている(Open Learning)のです。

また、iTunes Uでの講義の公開やMITなどが行っているOpenCourseWareの取り組みも、混合型のアプローチを目指しているように思えます。講義を公開する(Open Education)ことで、関心を持った人に自由に学んでもらう(Open Learning)という流れです。OpenCoursewareで提供されている講義などを利用してネット上で学生間を中心に議論を進め、単位に結び付けるという仕組みで運営されているUniversity of the Peopleのように、「Open Education」で公開された講義を「Open Learning」で学び、それを再度正規の教育システムに結び付けるといった試みをしている機関があるのも興味深いところです。

ただし、iTunes UやOpenCourseWareなどについては、それが教育機関の正規の授業などを公開する「Open Education」の取り組みにはなっていても、場合によってはあまり有効な「Open Learning」の素材にはなっていないケースもあり得るのではないかという気がします。例えば、長時間に及ぶ講義を教室の後ろに据えた1台の固定カメラで延々と撮影し、それをそのままネット上で公開したというような場合などです。特に話があまり面白くなかったりすると、それを自発的な学習(Open Learning)の一環として視聴し続けるのはなかなか厳しいものがあります*4。自分が大学の学部生だった頃を思い返しても、もし当時の講義が全てネット上で公開されていたとして、それを今もう一度見てみたいと思うものはそう多くはありません。興味のあるものでも、半年とか1年に及ぶ講義を全部見切れるかと言われるとさらに自信がなくなります。

このように、「Open Learning」と「Open Education」は、重なり合う部分を持ちつつも、必ずしも同一のものではありません。ネット上での自発的な学びに対するニーズに応えていくには、学び手のやる気次第という面があることは十分に承知しつつも、学習コンテンツを提供する側としても学び手を引きつけ、やる気を継続させるために知恵を絞ることが必要です。それは、例えばネット上でオープンにするコンテンツの内容や時間尺を厳選するということであったり*5、あるいはOpen UniversityのOpen Learnのように、既存の講義などを元にしつつもネット上で学びやすいようにコンテンツを作り直して提供するといった工夫であったりします。他にもいろいろとやり方はあると思うのですが、ネット上での「Open Education」は、"既存コンテンツの単なる再利用"にとどまらない試みを期待したいものです。「Open Learning」と「Open Education」が有機的に結びついていけば、ネット上での学びというのはさらに面白くなって行くのではないかと感じます。

*1:必ずしもネット上である必要はないのかもしれませんが、ここではネット上での動きに限定して考えます。

*2:これはあくまで言葉の意味から考えた個人的な定義です。一般的に両者が区別されているのかどうかはわかりませんし、使用者によってはここに記したのと別の意味合いで用いていることも十分にあると思います。

*3:それぞれの組織・サービスについての詳細は、こちらこちらのエントリをご参照下さい。

*4:一方で、最近来日もしたマイケル・サンデル教授がサイト上で公開している「Justice」のような講義(こちら)であれば、長くても十分に見応えがあります。ただしこの講義動画は元々PBSでのテレビ放送用に作られたものなので、講義の面白さはもちろんのこと、動画の制作にもかなりの力が注がれているはずです。

*5:例えばTEDでは、飛び切りの講演者による一流のプレゼンを、18分間という時間制限で生み出しています。

ネット上での「学び」について-2

前回に続いて、ネット上での学び・高等教育について考えてみることにしました。University of the PeopleやTEDのような"新興勢力"だけでなく、昔からある伝統的な教育機関の中にも、ネットを利用しながら公共性の高い学びのプログラムを提供しているところがあるなと思い至ったからです。

その筆頭として挙げられる組織のひとつが、イギリスのOpen Universityです。ここは1969年に設立された遠隔地教育(Distance Learning)機関の草分けで、生涯学習的な学びもあれば、学士号、修士号の取得につながるコースもあるという「大学」です。特に、単科での受講はもちろん、学士レベルでは入学要件がほとんどなく希望者を幅広く受け入れる点や、イギリスに本拠を置きつつも他国からの学生でも受講できるといった点で「オープン」なのです。ウェブサイトにはこのようなミッション・ステートメントが載っています。

Open Universityの使命は、様々な人々や場所、方法、アイデアに対して門戸を開いていることである。

この大学は授業料に加えて国からの助成金などで運営されています。1講義あたりの受講料が110ポンドから。柔軟性の高いプログラムなので人によってかかるコストは大分と変わるかもしれませんが、学士号取得までのモデル費用が約5000ポンド、修士レベルだと人文系の3000〜6000ポンドからMBAの10000〜15000ポンドといった金額が目安としてウェブサイトに載っています(こちら)。イギリスのフルタイムの修士課程は1年間で修了するところが多いのですが、そうしたところと比べて半額かそれ以下の学費です。

また、最近のOpen Universiyの特徴として挙げられるのが、ネット上での学習環境がとても整備されていることです。以前はテキスト教材にテレビやラジオで放送される授業を組み合わせて講義を行っていましたが、例えばある講義の概要を紹介するページ(こちら)などをご覧いただくとわかるように、最近ではオンラインに非常に力を入れているのです。

特に注目に値するのが、2006年に始まったOpen Learnというプロジェクト(こちら)です。これは、Open Universityが作成してきた大学レベルの講義の一部をウェブ上で無料公開するというものです。学位に結びつくものではありませんが、教育、歴史、芸術、ビジネス、環境、技術、科学などの分野で数分程度の動画が提供されているほか、無料のユーザー登録をすると、Learning Spaceというコーナーに入って想定学習時間が5〜15時間程度のより系統だった「学習ユニット」を受講することができます。

「学習ユニット」は主にテキストや写真・図版で構成されています。さっと読み進めば時間はかなり短縮できそうな半面、動画も音もなく一人で画面に向き合わなければならないので単調な印象も受けました。ただ、Learning Spaceでは「学習ユニット」と合わせて分野ごとの「フォーラム」(掲示板)コーナーが設けられており、ここで学び手が講義に関する質問をしたり感想を述べ合ったりという交流を図ることができるようになっています。また、同じユニットを学んでいる人同士が自発的に「学習クラブ」を組織することもできるようになっていたり、自分のアカウントページに学習記録が残っていくようになっていたりしていて、こうした面からも受講生のやる気を継続させる工夫が施されています。

Open Learnは、無料の学習コンテンツを提供する一方で、興味を持った人にはOpen Universityの正規の講義も受講してもらいたいという狙いで運営されているように見受けられます。でも、無料部分を利用するだけだとしても一級品の学びのリソースです。ヒューレット財団からの経済的支援を受けて始まったプロジェクトだそうですが、大学がこうした形で学びを支援することにはとても大きな意義があると思います。2006年から2008年の間のOpen Learnの取り組みをまとめたリポートが発行されているので、興味のある方はそちらもご覧になってみて下さい。

Open Learn Research Report 2006-2008 (PDF)

ところで、日本にも、Open Universityに該当する高等教育機関があります。放送大学です(こちら)。英語ではThe Open University of Japan。以前はThe University of the Airという英名を使っていましたが、2007年にOpen Universityという名称を取り入れました。入学時に学力試験を行わない点や、遠隔地教育をベースにしながら1科目のみの受講から学士号、修士号の取得につながるコースまで提供している点など、イギリスのOpen Universityと似ている点が多くあります。

ただ、ネットを使った学習環境の整備という点ではまだまだこれからのようです。「授業のインターネット配信のお知らせ」といったこともウェブサイト上で案内されてはいますが(こちら)、「学び方」のページには、「放送大学には、テレビ・ラジオで学ぶ放送授業の科目と、学習センターなどの教室で直接教員から授業を受ける面接授業(スクーリング)の科目があります。」とあるように、現在でもあくまで放送をベースにしています。また、Open Learnのような、講義動画とは別の形でのネットを利用した学習支援コンテンツも、自分が見た限りではなさそうでした。

自分の関心とペースに合わせて高等教育レベルの学習を進めていける放送大学のような教育機関は大きな役割を持つものだと思います。と同時に、だからこそネットをもっともっと活用してほしいとも感じます。テレビの目立たないチャンネルで、しかもケーブルやCS経由でないと画像が鮮明でないこともある受信環境で*1番組の編成時間に縛られた講義を流すだけでなく、ネット上でも講義をオンデマンド配信することが、「自分らしく自由に学ぶことができます」(こちら)という放送大学の学びのコンセプトにより合致するのではないでしょうか。

また、iTunes Uでの配信を積極的に活用するというのもひとつの手でしょう。東京大学や慶応大学などがiTunes Uで一部講義や学校紹介などの動画を配信し始めたという話が最近なりましたが(Asciiの記事などを参照)、ものによっては、大教室で行われる90分とか120分の授業をそのまま配信するよりも、予めテレビ向けに45分程度のサイズで作られていて、生徒役のアシスタントがいることもある放送大学の講義を配信した方がわかりやすい・利用しやすいということも十分にあるはずです。

イギリスのOpen Universityによる取り組みは、従来型の教育機関でもしがらみや伝統にとらわれずネットを上手く活用することは可能であるということを示しています。日本からでも利用できるそうした場があることをありがたく感じる一方で、日本の教育機関にも、ネットの強みを生かした学びの機会をどんどん作り出して行ってほしいと思います。

*1:これがどれほど一般性を持つのかわかりませんが、自分の場合は今まで引っ越した中で2回ほどそういう状況がありました。