「Open Learning」と「Open Education」
直近の2回のエントリ(こちらとこちら)で、学びの場としてのネットについて取り上げましたが、その過程で気になり始めたことがあります。それは、「Open Learning」と「Open Education」という言葉についてです。
これは、ネット上で学習の機会やリソースに対するアクセスを広く公開する動きを指す言葉です*1。直近2回のエントリの中では自分でも特に両者を区別していなかったのですが、段々とこれらはそこに含まれる意味合いやポジショニングが違うのではないだろうかという感覚が生じてきました。そこで今回は、この2つの言葉が持つベクトルについて、自分なりに感じたことを書いてみます。
結論を先に述べると、個人的には、「Open Learning」を推進するためのひとつの有力な手段として「Open Education」があるのではないかという気がしています。金銭面や時間、場所など諸々の制約を取っ払って、"学びたい"というニーズに可能な限り広く応えるのが「Open Learning」に込められた意味で、その学習のためのプログラムを組織的・系統的に提供しようというのが「Open Education」なのではないでしょうか*2。
「Open Learning」も「Open Education」も非常に意義のあることだと思うのですが、前者が"学び手"の側に寄り添っているのに対し、後者は"教える側"に視点を置いているように感じられます。これは、例えばCambridge Advanced Learners' Dictionary(こちら)で、Learnには「新たな科目や活動において知識やスキルを得ること」、Educateには「誰かを、特に正式な学校や大学のシステムの中で教えること」という意味が当てられていることからも言えることだと思います。そして、ネット上では、ユーザー側の自発的な行為を支援する前者をベースにしたアプローチの方がより有効なのではないかという気がします。
もちろん、「Open Learning」と「Open Education」は必ずしも対立する概念ではありません。学びの環境をオープンにするために教育サービスをオープンにする、というのは理想形の一つであり、実際そうした試みも行われています。でも、明示的であるかどうかは別にして「Open Learning」や「Open Education」に関連する団体やサービスが、必ずしも同じ方向を向いているとも言えません。
ここからは前2回のエントリで取り上げた組織などを例に挙げながら書いていきますが*3、例えばTEDは以前も書いたように教育機関ではありません。「アイデアを広める」ことを目的とした組織です。FAST COMPANY誌の記事で"新しいハーバード"とまで持ち上げられていたとしても、TEDがウェブ上で取っている、各分野の一流の人々が行う講演を無料で、地理的な制約や言語面での障壁をなくして提供しようという手法は、「Open Education」ではなく「Open Learning」に近いものです。
一方、イギリスのOpen Universityのアプローチは両者の混合型だと言えます。まず、その名もOpen Learnという、この大学に蓄積された講義を元にした、単位などとは関係のない無料学習コンテンツを大量に提供して「Open Learning」を推進しています。また、正規の教育である学士や修士号に向けたプログラムでも、ネットを重点的に利用して受講生が自分のペースで進めやすい柔軟性のあるプログラムを提供しています。教育の環境をなるべくオープンにすること(Open Education)によって、学びに対する需要に幅広く応えようとしている(Open Learning)のです。
また、iTunes Uでの講義の公開やMITなどが行っているOpenCourseWareの取り組みも、混合型のアプローチを目指しているように思えます。講義を公開する(Open Education)ことで、関心を持った人に自由に学んでもらう(Open Learning)という流れです。OpenCoursewareで提供されている講義などを利用してネット上で学生間を中心に議論を進め、単位に結び付けるという仕組みで運営されているUniversity of the Peopleのように、「Open Education」で公開された講義を「Open Learning」で学び、それを再度正規の教育システムに結び付けるといった試みをしている機関があるのも興味深いところです。
ただし、iTunes UやOpenCourseWareなどについては、それが教育機関の正規の授業などを公開する「Open Education」の取り組みにはなっていても、場合によってはあまり有効な「Open Learning」の素材にはなっていないケースもあり得るのではないかという気がします。例えば、長時間に及ぶ講義を教室の後ろに据えた1台の固定カメラで延々と撮影し、それをそのままネット上で公開したというような場合などです。特に話があまり面白くなかったりすると、それを自発的な学習(Open Learning)の一環として視聴し続けるのはなかなか厳しいものがあります*4。自分が大学の学部生だった頃を思い返しても、もし当時の講義が全てネット上で公開されていたとして、それを今もう一度見てみたいと思うものはそう多くはありません。興味のあるものでも、半年とか1年に及ぶ講義を全部見切れるかと言われるとさらに自信がなくなります。
このように、「Open Learning」と「Open Education」は、重なり合う部分を持ちつつも、必ずしも同一のものではありません。ネット上での自発的な学びに対するニーズに応えていくには、学び手のやる気次第という面があることは十分に承知しつつも、学習コンテンツを提供する側としても学び手を引きつけ、やる気を継続させるために知恵を絞ることが必要です。それは、例えばネット上でオープンにするコンテンツの内容や時間尺を厳選するということであったり*5、あるいはOpen UniversityのOpen Learnのように、既存の講義などを元にしつつもネット上で学びやすいようにコンテンツを作り直して提供するといった工夫であったりします。他にもいろいろとやり方はあると思うのですが、ネット上での「Open Education」は、"既存コンテンツの単なる再利用"にとどまらない試みを期待したいものです。「Open Learning」と「Open Education」が有機的に結びついていけば、ネット上での学びというのはさらに面白くなって行くのではないかと感じます。
*1:必ずしもネット上である必要はないのかもしれませんが、ここではネット上での動きに限定して考えます。
*2:これはあくまで言葉の意味から考えた個人的な定義です。一般的に両者が区別されているのかどうかはわかりませんし、使用者によってはここに記したのと別の意味合いで用いていることも十分にあると思います。
*3:それぞれの組織・サービスについての詳細は、こちらとこちらのエントリをご参照下さい。
*4:一方で、最近来日もしたマイケル・サンデル教授がサイト上で公開している「Justice」のような講義(こちら)であれば、長くても十分に見応えがあります。ただしこの講義動画は元々PBSでのテレビ放送用に作られたものなので、講義の面白さはもちろんのこと、動画の制作にもかなりの力が注がれているはずです。
*5:例えばTEDでは、飛び切りの講演者による一流のプレゼンを、18分間という時間制限で生み出しています。