ネットと「縦方向」のつながり

先日、徳島県にある神山町NPOグリーン・バレーのウェブサイト「イン神山」に載っていた「神山写真帖」(こちら)というページを見ました。町の人々が撮った神山の写真にタグをつけて整理し、簡単なキャプションとともに公開しているサイトです。古いものでは100年前の写真が公開されていて、同時に現代の写真も随時更新されています。これを見て非常に興味をそそられました。それが、今は他にあまり行われていない「ネット上で世代を超えた『縦方向』のつながりを生み出すためのコミュニティ・ベースの試み」であるように感じられたからです。以前からぼんやりと頭の中にあったことなのですが、ネットを通じた「縦」と「横」のつながりについて考えて見たいと思います。

mixiFacebook、Linkedinといった現在花盛りのSNSは、基本的に横、あるいは水平方向につながりを広げていくために使われています。「友人」を増やし、「キャリアのためのネットワーク」を広げ、「同好の志」を探す、というように。もちろんその中では自分と大きく年齢が離れた人と仲良くなることもあるかもしれません。でもそういう場合も、ネット上では年齢の意味が薄れ、年の差をあまり意識しない関係になっていることが多いように思います。こうしたSNSでは、趣味・関心や故郷・出身校などに基づく横方向のつながりがどんどん広がり、おびただしい数のコミュニティを形成しています。と同時に、最近では個人ばかりでなくさまざまな組織もSNSに注目しています。NPOFacebookに公式ページを開いてサポーターの獲得や資金集めに利用したり、あるいは企業が社内でSNSを設けて情報交換を促進したり、といった動きはよく耳にします。ここでもSNSに期待されているのは、多くの場合水平に広がるフラットなつながりの促進です。簡単にまとめると、一般的にSNSは個人も組織も参加する横方向のコミュニティである、と言えます。

一方で、ネット上で世代を超える「縦方向」のつながりを担っているのは、プライベートな存在としての個人と、組織です。前者としては、家族など極めて親密な間柄にある人々の間で、しばしばクローズドな環境でやりとりされる世代を超えたコミュニケーションが考えられます。子どもの様子を撮影して遠くに暮らす祖父母にメールで送ったり、共有サイトにアップしたり(この場合、パスワードで保護をかけることもよく行われています)、といったケースです。また後者の例としては、UNESCOによる「世界記憶遺産 (Memory of the world)」プロジェクトや日本の国会図書館デジタル・アーカイブなどが挙げられます。個人で行うにしろ組織で行うにしろ、こうした世代を超えた縦方向のつながりを作り出すことは意義深いことだと思いますが、ここで挙げた例に共通して言えるのは、そこにコミュニティが介在していないということです。言い換えれば、現在ネット上で行われている縦方向のつながりを生み出す活動では、横方向のつながりではあれ程盛んに用いられている「コミュニティ」というものがほとんど利用されていないのです*1

ここに、冒頭に紹介した「神山写真帖」のユニークさがあります。

神山写真帖は、神山の各家庭に眠っていた過去100年分の写真を集めてデジタル化した、町の大写真帖。新しい写真も加えて、日々成長中。

と自らを称しているように、これはネット上で昔と今、つまり「縦方向」を結ぶことを目的とした、コミュニティに根ざしたプロジェクトだからです。

神山写真帖にあるのは、神山で暮らす人々の「各家庭に眠っていた」写真です。その中には、景色や風物に加えて神山の人々を撮った写真が多く含まれています。1930年代の結婚式の写真や昔の家族写真といったもっともプライベートな領域に属する写真から、数十年前の学校や神社の落成式、町で行われた相撲や歌舞伎の公演、幼稚園や小学校の発表会など、地域のイベントで撮られたセミ・パブリックな写真までが載せられています。

興味深いのは、こうした写真をネット上でひとつの場に集め、年代やキーワードでタグ付けをした上でまとめて公開することで、元々は個人や家族や学校といった限られた場所で特定の時代においてのみ保持されていた写真にまつわる記憶や思い出が、時代を超えて神山というコミュニティの記憶や思い出として共有されるようになっていることです。それは、必ずしも写真が撮られたのと同時代を生きていなくとも、その写真が発する記憶や思い出を自分なりの文脈で捉えられるということでもあります*2

僕は神山に何らかのゆかりがある訳ではありませんが、それでも「神山写真帖」の写真を見てこのような印象を持つことができるのは、このプロジェクトが「外部の誰か」とか「遠い大組織」ではなくて「神山の人々」自身によって草の根的に行われているからだと感じます。同じ写真がどこかの郷土博物館のようなところにパネル展示してあったり、あるいは国会図書館の電子アーカイブのような場でネット公開されていたとしても、これほど面白くはならないはずです。コミュニティが自ら主体的に行うからこそ、そこで暮らす人々との有機的なつながりが生まれて魅力的なプロジェクトになっているのであり、コミュニティを核にしているからこそ、そしてネットを使っているからこそ、時代・世代を超えた縦方向の記憶と思い出の共有がこんなに何気ない自然体で行われているのだと思います。

一般の人がインターネットを日常的に使うようになってからまだ15年程度しか経っていませんが、今後その年月が長くなるに従い、ネットと「縦のつながり」をいかに結びつけるかということが注目されてくるはずです。その中で、「神山写真帖」の取り組みはひとつの有益な参考事例になるのではないかと思います。

*1:別にそれが良いとか悪いという価値判断をするつもりはありません。

*2:例えば見たこともなかった自分の祖父母が子どもだったころの写真をこの写真帖で見かけたり、自分が卒業した中学校のオンボロ校舎が50年前にピカピカの状態で落成した時の華やかな様子を目にしたり、といったことから、昔と今をその人なりに結び付けられるのではないかということです。