人材の流動性から見るオールド・メディアのネット配信

つい先日のPaid Content UKに、Ashley HighfieldがProject Kangaroo*1からマイクロソフトに移籍するという記事が出ていました。

え?

Highfieldの今の役職は、Project KangarooのCEOです。しかも、今年の夏に就任したばかり。その前は、BBCのデジタル戦略を統括する役員(Director)として8年にわたってiPlayerの立ち上げやBBCのデジタル・アーカイブスの構築などを指揮してきました。言わば、イギリスにおける映像ネット配信の最重要人物と言えるような人です。そんな人が半年足らず務めただけで会社のトップからいなくなってしまうのですから、このニュースを知った時には驚きました。でも一方で、たびたび起こるこうした動きがイギリスやアメリカのメディア・エンターテインメント産業のダイナミズムを生み出す原動力の一端になっているような気もします*2

以前のエントリーでも紹介しましたが、Kangarooは現在イギリスの公正取引委員会から「コンテンツの権利確保などの面で過度の力を持ちすぎて自由な競争が阻害される恐れがある」として調査を受けています。最終的な裁定が下されるは来年2月ですが、仮の調査結果が今月下旬にでも出る予定だそうです。そんな時期に超大物CEOが会社を去ってしまうのですから、Kangarooにとっては大きな痛手となるでしょう。でも、なぜHighfieldはこのタイミングで転職することを決めたのでしょうか?

勝手な推測をすれば、Kangarooの将来があまり明るくないと感じたとか、あるいは外部からの横槍などが入り自分の思うようなペースで設立準備が進んでいかないことに苛立ちを覚えたといった要素もあったのかもしれません。でも、上記のPaidcontentの記事は、今回の件についてKangarooが出した声明文の中でのHighfieldの言葉として「(マイクロソフトからのオファーは)あまりに素晴らしい機会だったので断ることができなかった」というものがあったと説明しています。給与などの条件面、また「Windows, Windows Mobile, Windows Live, MSN, Live SearchMicrosoft Advertisingにおけるセールス、マーケティング、コンテンツと編成、事業開発、パートナーシップの構築とオペレーションに責任を持つ」(同じく上記記事より)と言われるほど幅広い分野での権限が与えられるマイクロソフトUKのVice Presidentという地位に魅力を感じたという点も大きかったのでしょう。

そもそも、Highfieldは元々BBCにいた人ではありません。「BBCの理事をしていた」というと何だかずっとBBCで働いてきた人のような印象を受けるかもしれませんが、この人はプログラマーコンサルタントをした後に有料チャンネルのオンラインサービスなどを担当してきた人です(Guardian紙によるHighfieldの解説はこちら)。1999年にBBCの理事になった時点で34歳(史上最年少)、今でもまだ40代前半という若さです。

この人のキャリアの築き方を見ていると、国は違いますが以前紹介したHuluのCEO・Jason Kilarのそれと似ているように思えます。昨年HuluのCEOになったKilarは現在36歳で、前職はAmazonの幹部でした。両者とも、テレビ業界での経歴ではなく、ニュー・メディアの分野における実績を買われて非常な若さで役員やCEOに迎えられているのが特徴です。

この点は、「アメリカやイギリスではなぜBBCNBC,FOX(両社はHuluの親会社)のようなオールド・メディアがネット配信の最前線を走ることができるのか」ということを考える上で大きな意味を持っているように感じられます。つまり、英米では、オールド・メディアでも新たな事業に取り組む際は必要なスキルを持つ人材を積極的に外部からトップレベルの役職に招へいしているのです。トップレベルの役職というところが重要です。オールド・メディアの慣習やしがらみにとらわれずに新しいプロジェクトを推し進めていくためには、予算や人事、戦略立案などの点で強大な権限が与えられることが不可欠だからです。KilarにしろHighfieldにしろ、個人としての才能や実績が評価されただけではなく、そこから生まれるアイデアやものの見方を実現できる環境(=権限)を与えられたからこそHuluやBBCのiPlayerなどを成功に導くことができたと言えるのではないでしょうか。

これは、日本ではなかなか見られない現象だと思います。アメリカやイギリスでは、勤め先を変えながらキャリアを上昇させていくという”斜め上への移動”が一般的です。人は垂直だけでなく水平方向にもどんどん動いていくのです。一方、日本の伝統的企業では、多くの場合キャリア形成はひとつの会社の中だけで完結し、“横への動き”はあまりありません。増して、トップレベルの役職に社外の人材(しかも30代や40代などの若い人)を登用するということはほとんど起こりません。どちらのモデルにもそれぞれの長所・短所があるので一概にどちらが良いとは言えません。でも、デジタル技術のように変化のスピードが非常に激しい分野を扱う場合、「社内・社外にとらわれず必要なスキルを持つ人を探し出してプロジェクトの責任者に据える」という発想が出てくるかどうか次第で、どれほど上手く、そして迅速にその変化に対応できるのかという点に大きな違いが生じるのではないかという気がします。

*1:Kangarooは、BBC(の営利子会社)、ITV、 Channel4というイギリスの主要地上波テレビ局が共同で立ち上げようとしているテレビ番組などのネット配信プラットフォームです。

*2:デジタル技術とは直接関係ありませんが、イギリスで起きた同種の動きとしては、2006年に当時BBCの経営委員長だったMicael Gradeが突然イギリス最大の民放であるITVの社長に転じることを発表して周囲を驚かせたという事例があります。