「公共新聞」の可能性

先日の日経新聞に、アメリカ議会などで検討が始まっている新聞社への支援策についての記事が出ていました(6/9付け「米新聞社に救済論浮上」)*1。このあたりの議論にはあまり詳しくないのですが、経営支援に向けた検討課題として、税制優遇策の導入に加えて非営利組織(NPO)に移行しやすくなるような法律の導入が挙げられていると書かれてあったのを見て興味を惹かれました。非営利組織の新聞、言ってみれば「公共新聞」とでも呼べるものは成立し得るのだろうかと。

税金や視聴・聴取料、広告など財源は様々あるにしろ、多くの国で「公共テレビ(Public Television)」や「公共ラジオ(Public Radio)」が存在することを考えると、「公共新聞」があってもおかしくない気はします。でも、「公共新聞」という言葉自体、僕はこれまで目にした記憶がありません。

制度面で言えば、テレビでもラジオでも、最近まで長い間「希少なもの」とされてきた電波を使うための免許を政府から得なければならない放送は公共的なものと位置づけられることが多く、一方で言論の自由を体現する代表的なメディアとしての地位を築いてきた新聞は政府からの規制をなるべく受けない事業形態を目指してきたという事情があるのかもしれません。でも、ジャーナリズムが持つ公共性や、「社主」の存在などで株式を上場せずに事業を行っている(=必ずしも利益を最大化して株主に報いるのが最大の使命ではない)新聞社が各国に存在するといったことを考えると、新聞社と非営利事業はそんなに相性が悪くないのではないかという印象を受けます。

ただ、アメリカのニュース・サイトやブログなどでこの件がどのように扱われているのかをいくつか確認してみたところ、否定的な論調の方が多いようでした。例えばCBSのニュース記事では、政府の資金を受け入れると権力からの圧力や要求が強まると警戒していますし、Paid Contentの記事では、インターネットの普及に代表されるメディア環境の激変に新聞社のマネジメントが対応しきれていないのに事業の形態だけをNPOに変えても上手くいくはずがないという指摘がなされています。

個人的には、「公共新聞」という存在はあり得るものだけれど、少なくともアメリカで大きな課題になるのは先ほど紹介したうち後者の方ではないかと感じています。前者について言えば、アメリカは他国よりも比較的「公共新聞」が存在しやすい環境にあるはずです。というのも、アメリカは政府が公共放送を財政的に支えるという伝統が非常に弱いからです。アメリカは他国と比べて公共放送(テレビ、ラジオともに)が遥かにマイナーな存在なのですが、その財源の半分以上を占めるのは個人からの会費や寄付、財団の援助、「この番組は○○のサポートで作られている」という程度の極めて控え目な露出と引き換えに企業が出す協賛費などです。アメリカの公共放送を支える最大の力は、官ではなく民間なのです。放送を出さなければいけないテレビやラジオと比べれば新聞の設備投資は少なくて済むはずですから、こうした層からの支持を得ることができれば、財政面では「公共新聞」を成り立たせることは可能なのではないかという気がします。そして、財政面での政府への依存が少なくなれば、その分政府からの圧力を跳ね返す力は増すはずです*2

一方で、上に挙げたPaid Contentの記事に書かれていた、「篤志家は通常、安定した事業モデルを持っていない組織にはお金を出さない」というのはもっともな言い分です。広告収入がこの数年で半分の規模にまで落ち込み発行部数も減っているという先の見えない状況では、ジャーナリズムを救うというためだけに多額のお金を出す個人や財団、企業は現れないかもしれません。ただ、新聞という名前は使っていませんが、アメリカではPro PublicaMinn Postのようなプロの記者によるオンライン専門の非営利ニュース・メディアが存在します。新聞社でも、Seattle Post-Intelligencerのように紙を廃止してオンラインのみにするところが出てきています(Technobahnの記事)。紙媒体を廃止することの是非はわかりませんが、ネットを上手く利用することは新聞の事業モデルを安定させるための必須条件だとは言えるでしょう。

あくまで勝手な想定上の話ですが、もしNew York Timesが一時は廃刊を含めて検討していた(今は分離・売却の方向で話が進んでいるようです)傘下のBoston Globe紙(発行部数:約35万部)と協議したうえで「Goston GlobeはNYTから独立し、人員削減や給与カットを行って非営利の公共新聞として再出発する」なんていう決断を下すようなことがあれば*3、それはかなりのインパクトがあるし、新聞社の新たな事業モデルを探るための大きな一歩となったかもしれません。

新聞はNPOとして運営すべきだなんていうことを言うつもりはありませんが、既存の事業モデルがこれだけ不具合を起こしている以上は何らかの措置が必要で、そのためのひとつの選択肢として「公共新聞」という形態もありなのではないかと思います。PBS(公共テレビ)やNPR(公共ラジオ)のような全国に広がる組織として公共新聞というものができることは少なくとも当面はなさそうですが、個々の新聞社レベルではどうでしょう。「我が社は、商業的な利益を追求することを止め、質の高いニュースや情報を市民に提供することを目的とした非営利の組織となる」と宣言し、地域住民や企業の支援を受けながら*4事業モデルの転換を図っていくようなところが出てきてもいいのではないでしょうか。

*1:ネットで一般公開されているのは記事のリード部分のみです。

*2:連邦政府や州政府などからも支援を受ける以上は何らかの圧力を受ける可能性は排除できませんが、PBS(公共テレビ)やNPR(公共ラジオ)がしばしば「リベラルすぎる」という批判を浴びていることを考えると、必ずしもそれが政府寄りのメディアを作り出すことにはつながらないのではないかという気がします。

*3:実際はそんなことはまず起こらないでしょうが。

*4:アメリカには、USA Today以外全国紙と呼べるような一般紙はありません。