追悼 忌野清志郎

今晩はずっと、亡くなった忌野清志郎さんのことを考えていました。曲を聴いたり、昨日の告別式についての記事を読んだり、テレビの追悼番組を見たり、ネットでいろんな情報を検索したりしながら。

清志郎の死は各方面で反響を呼んでいるようですが、僕も彼の歌や生き方に憧れてきた1人として、大きなショックを受けました。僕にとって清志郎は、最高のソウル・ミュージシャンの1人でした。Otis ReddingSam Cooke, Marvin Gayeなどの系譜を受け継ぎ、日本語で一流のソウル・ミュージックが歌える稀有なシンガーだったのです。あの歌声をもう生で聴くことができないのかと思うと、悲しくてたまりません。

ということで、今日はブログのネタ探しとは全く関係なくネットやテレビ、新聞などを行ったり来たりしていたのですが、その中で強く感じたことがあるのでエントリーにまとめることにしました。それは、「清志郎の死で心に傷を受けたファンたちが自らの想いを表に出し、互いに共有する場としてYoutubeが非常に大きな役割を果たしているのではないか」ということです。

告別式の模様や清志郎と親交のあった著名人の声を知るにはテレビや新聞などのマスメディアを利用するのが一番ですが、これらのメディアでは、一般のファンの声が大々的に伝えられることはありません。別にそれが良いとか悪いということではなく、マスメディアは「告別式に40000人を超えるファンが詰めかけた」ことは報じても、出席者1人1人の声や、告別式には参加できなかったその他大勢のファンの声を報じるようには出来ていないのです*1。でも、音楽性に留まらずその生き方自体がカリスマ的な魅力を持っていた清志郎の死は、1人のミュージシャンが亡くなったという以上の喪失感を多くの人にもたらしている気がします。そして、そうした人々が自分たちの「声」を発する場としてネットが利用されているのです。

自分のブログで追悼の思いを記した人もいるでしょうし、Twitterなどでコメントした人もいるでしょう。でも僕がネットをいくらか見た範囲では、そうした声が集まり、共有される場として最もよく機能しているのはYoutubeだったように感じます*2Youtubeにアップされている清志郎の曲やライヴ映像に、続々とファンからのコメントが寄せられているのです。

僕も自分の好きな曲をいくつかYoutubeで視聴しましたが、そこで見られる清志郎のパフォーマンスや歌声はもちろん、その動画に寄せられた人々からの追悼の声や嘆き、清志郎への感謝の言葉にも同じぐらい心を打たれました。そして、自分と同じようなことを考えている人がこれだけいるんだと知ることが、自分にとっての多少の慰めにもなったのです。Youtubeにある清志郎のクリップが、清志郎の動画を見たいという期待だけでなく、清志郎への想いを共有したいという欲求も惹きつける磁場の役割を果たしているように感じられました。

でも一方で、Youtubeにアップされている動画の中にはきちんとした許諾を受けていないものも含まれているであろうことを考えると、ちょっと複雑な気持ちになります。もちろん無断アップロードというのは褒められたものではありません。でも、それによっていくらかでも喪失感から救われた多くのファンがいるはずなのです。Youtubeの動画につけられた多くのコメントからわかるように、清志郎の死という事態に際して、在りし日の彼のパフォーマンスを見ながら弔いたい、そしてその気持ちを他の人たちと共有したいという強い思いを多くのファンが持っていることは真剣にとらえる必要があります。そして恐らく、そうしたファンたちに支えられてビジネスを行ってきたレコード会社や事務所などは、こういう時何らかの形でファンの思いに応える責任があるのです。

普段以上に寛大な態度でYoutube、ニコ動その他のサイトに接し、そこで行われている「追悼」を黙認するというのも一つの手ではありますが、より望ましいのは、期間限定でもいいのでYoutubeなどに「清志郎チャンネル」を設けてそこにオフィシャルな形で新旧のライヴ映像などをたくさんアップし、自由にコメントをつけてもらうようにすることではないかと思います。権利クリアの問題などを考えると決して簡単に実現できることではないだろうというのは想像できますが、こういう非常時であれば、やってやれないことはないはずです。そしてそれは、ファンへの感謝をはっきりと示すことにつながるとともに、レコード会社や事務所が故人に送る最高の弔いにもなるのではないでしょうか。技術的にはそういうことが十分可能なのに、ビジネス上、あるいは権利上の問題でそれが実現せずに、結局どことなくグレーな範囲を抱えたままレコード会社や音楽事務所などと切り離された形でファンが独自にさまざまな情報や想いをネット上で共有していくというのは、お互いにとって不幸なことなのではないかという気がします。

そんな状況がこれから改善されていくことを祈りながら 
− 清志郎さん、ありがとう。そして、安らかに。

*1:参列したファン数人の声を映像や記事で紹介することはあったとしても。

*2:もちろん、僕が知らないどこかでより活発にそうしたことが行われている可能性も十分にありますが。