CES,ネット対応テレビと「イノベーションのジレンマ」

いろいろな報道で取り上げられている通り、今月ラスベガスで開催されたConsumer Electronics Show (CES)では家電メーカー各社がこぞって「ネット対応テレビ」を売り物にしていました(例えばWSJの記事)。アメリカでもテレビとネットの距離を縮める取り組みが本格化してきたようです。クリステンセンによる「イノベーションのジレンマ」の考え方をもとにすると、この動きは非常に興味深いものだと感じられます。

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優良企業は既存の主要顧客の要望に応じて自社の強いを活かした製品の開発や改良を行っていくので、扱う製品が少しずつ高機能化・高価格化していく(持続的イノベーション)。こうした企業は、同じ分野で低価格・低性能の製品を扱う企業が新規参入してきても、市場規模が小さく主要顧客からのニーズもなりニッチな市場にはなかなか参入できない。しかし、やがて高機能品・低機能品の性能がともに向上すると、高機能品がオーバースペック・オーバープライスになる一方で低機能品は一定数の顧客の最低限の需要を満たすレベルに達するようになる(破壊的イノベーション)。そして、低価格製品が徐々に市場を席巻するようになる。
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これが「イノベーションのジレンマ」の基本的な考え方です。

今年のCESで示されたのは、主要テレビメーカーにとっての持続的イノベーションが高画質化・大画面化・薄型化からネットへの対応に移行したということです。しかし、テレビ局が長らくインターネットを厄介視してきたことからもわかるように、IP網を使ったコンテンツ配信は伝統的な電波やケーブルを介する映像配信にとっては「破壊的技術」です。この意味で、テレビのネット対応化という動きは単なる持続的イノベーションではありません。受像機としてのテレビに起こる持続的改良のためにテレビ局のビジネスが破壊的な影響を受けることになるかもしれない、というねじれた関係がその裏にあるのです*1

それがすぐに現実のものになるとは思いません。テレビを通じてみるネット配信の動画というのは、まだいろんな点で問題を抱えているからです。例えば、無線LANがそれほど普及していない今、インターネット用のコードをテレビにつなげるのは意外と面倒です。また、CESで発表されたネット対応テレビの間でも、自由なネット閲覧はできずに提携サービスしか利用できないようになっているものが多いと言われます。そして、ネット動画の画質はまだテレビに比べると劣ります。こうした点が解消されていないので、目の付けどころの良さで市場をリードしてきたAppleでさえ、Apple TVではあまり成功していません*2。テレビ上のネット動画は、使いやすさの点でも画質の面でも一般的な顧客の最低限のニーズを満たすには至っていないのです。

でも、この状況はだんだんと変わってくるでしょう。ネットを通じた動画のHD配信に向けた動きがいろいろと起きていますし(関連エントリー)、動画の圧縮技術もこれからますます発展していくことでしょう。今回のネット対応テレビに向けた動きが、テレビメーカーが独自に取り組むのではなく、ウェブ上のサービス展開に長けたNetflixやYahooなどと連携して行われている点にも注目が必要です。より使いやすいサービスを作り上げる上でこれらの会社が持つ経験やノウハウは大いに役立つはずだからです。そして、「イノベーションのジレンマ」の考えに従えば、テレビ上のネット動画はその使いやすさや画質がある一定の水準を超えた段階から徐々に地上波やケーブルに置き換わっていくはずです。それは旧来の電波やケーブルを通じたテレビのサービスを駆逐することはありませんが、現代それらが持っている独占性を大きく弱めることになるでしょう。

このように、「その時」がいつになるのかはわかりませんが、テレビでネット上の動画を普通に楽しめる日がいずれやって来るはずです。今年のCESは、その大きな潮流の一端を示したととらえることができるのではないでしょうか。「その時」がどれぐらい先(あるいはどれぐらいすぐ)やってくるのか。その時テレビ局はどのような対応をするのか。非常に興味深いところです。

*1:テレビ市場では、これとは別に、高価格化・高機能化に向かうソニー東芝などのテレビが低価格を売りにするVIZIOにシェアを奪われるという、クリステンセンが提示したモデルにより近い「業界内」での破壊的技術の攻勢も起きていますが、このエントリーではそこには触れません。ここでのポイントは、テレビメーカーとテレビ局という関連しつつも別の業界にある企業の間で、持続的イノベーションと破壊的イノベーションを通じた相反するつながりが生まれているということです。

*2:Apple TVは、セットトップボックスを介してテレビとネットをつなぐ製品と言えます。