任天堂の動画配信

昨年末に、任天堂電通と組んで来春からWii上で動画コンテンツのブロードバンド配信を始めると発表しました(任天堂のプレス・リリースはこちら)。ネットに接続して「Wiiショッピングチャンネル」から無料で入手できる「Wiiの間チャンネル」をダウンロードすると、そこから動画の視聴ができるようになるということです。

プレス・リリースには「コンテンツの内容は、ジャンルやターゲットにこだわることなく、新しいものを中心に、幅広く展開していく」と書かれています。当初は無料サービスとして始めて夏頃からオプションとして有料コンテンツも提供する、そしていずれは海外展開も行う予定だそうです。また、このニュースを伝える日経新聞の記事
○配信するコンテンツは家族で見られる娯楽番組を中心とする計画で、制作会社などが新サービス専用に作成する
○既存のテレビ番組などは配信しない
○無料サービスの場合は広告で収入を確保する
方針だと報じています。

任天堂のプレス・リリースの中には、Wiiの利用家庭の8割強がWiiリビングルームに置き、約4割がインターネットに接続されているという説明がありました。任天堂Wiiのネット接続率をまだ不十分だとしてNTTなどと組んでさらに接続率アップを図っていますが(Asciiの記事)、たとえばアクトビラのネット接続率が2008年春の時点で10%程度とみられていたのと比べると、Wiiの接続率は非常に高いと言えます。*1であれば、「ネットとテレビの橋渡し役」としてのWiiの役割を充実・強化していこうとする任天堂の戦略は至極妥当なものだと感じられます。

個人的に特に興味を持っているのは、「既存のテレビ番組などは配信しない」という方針です。これまで、ネット上の動画配信の世界では、扱うコンテンツを"プロが作ったコンテンツ=テレビ番組や映画""ユーザー作成コンテンツ"かという2者択一で捉えるのが一般的でした。アメリカのTVネットワークやHuluなどではネット配信専用に制作したコンテンツを流し始めたりもしていますが、まだまだニッチな存在です。Wiiの動画配信が具体的にどのようなコンテンツを扱うのかはわかりませんが、任天堂がゲームで培った「人を楽しませる」ノウハウを持ち、ポケモンやマリオ、ゼルダをはじめとする人気キャラクターを多数抱える会社であることを考えると、この会社であれば"プロが制作したけれどテレビや映画館以外のプラットフォームをファースト・ウィンドウとする映像コンテンツ"という新しい分野を成立させ得るのではないかという気がします。

日本の場合、ほとんどのテレビ番組はテレビ局ではなくてさまざまな制作プロダクションによって作られています。だから、制作力という点で言えばテレビ局と連携しなくても質の高いコンテンツを作ることはできるはずです。問題は、「そこにどれほどの資金(制作費)を投じることができるのか」という点と、それと関連して「完成したコンテンツをテレビ以外のプラットフォームで流通させた場合にきちんとペイするのか」という点でしょう。でも、Wiiの場合はこららの点についても見込みはあると言えそうです。

Wiiの国内販売台数は昨年の秋に700万台を超えたそうです(JCASTの記事)。そのうちの40%がネットに接続されているとすると、280万台。台数と世帯数の単純比較はできませんが、国内最大手のケーブルテレビであるJ-COMのCATV加入世帯(2008年第三四半期で235万世帯*2WOWOWの契約者数(2008年12月で約250万)よりも大きな数字です。WOWOWが独自ドラマの制作などを行って成果を上げているいることを考えると*3、ジャンルはともかく任天堂Wii上で独自コンテンツを制作して成功させることも不可能ではないでしょう。

また、任天堂が捉える守備範囲の概念にも注目すべきものがあります。昨年末の日経新聞任天堂の岩田社長のインタビューが載りましたが*4、その中で岩田氏はこのようなことを述べています。

これまで以上にビデオゲームという概念を広く考えるべきだと強く思っている。従来の枠にとらわれず、音楽やカメラ機能、健康管理など利用者を笑顔にするものはすべてゲームと定義してみる。インターネットを使った映像配信など、どうすれば任天堂の強みを生かせるか幅広く検討している。

任天堂Wiiを使って斬新なゲームを次々に送り出してきたことはよく知られていますが、それを支えたコンセプトと通じる「利用者を笑顔にするコンテンツはすべて自らの守備範囲である」という方針で動画配信ビジネスに乗り出すのであれば、そこにどのような作品が並ぶのかとても楽しみです。特に、このチャンネルが「Wiiの間チャンネル」と名付けられていることからもわかるように*5任天堂の動画配信は「茶の間」を強く意識しています。幅広い年代を対象にして、家族全員を笑顔にするような動画コンテンツの配信を目指すということなのでしょう。未曾有とも言われる不況の中、この20年ほど世界を席巻してきた自己中心的な利益至上主義という価値観が大きな転換期を迎えています。例えば昨年末の紅白が好調だったように、もしかしたらこれからは"家族"とか"茶の間"、"つながり"といったことが(どういった形でかはわかりませんが)復権に向かうのかもしれません。ネットはどんどん「コミュニケーションのフラグメンテーション化」を進めるメディアだと言われてきましたが、そんな中、今のタイミングで「茶の間」を掲げて任天堂がネット上での動画配信に乗り出すということは広い文脈でとらえるとどんな意味を持つんだろうと気になっています。

*1:ネット対応のテレビが増えても実際にあまり接続されていないのは、恐らく「面倒くささ」が「サービスの魅力」を上回っているからです。インターネットの入り口となる電話のモジュラージャックは、多くの場合リビングのテレビ置き場のすぐそばにはありません。無線LANがまだそれほど普及している訳ではない現状では、ルータからテレビまでLANケーブルを引っ張るのは手間なのです。しかもアクトビラの場合はIP回線を利用しているとはいえクローズドなサービスなので、LAN回線を繋いだとしても自由にウェブサイトの閲覧ができる訳ではありません。その点、Wiiはネットにつなぐとゲームソフトのダウンロード購入やデジカメ写真のプリント注文、占いなどが手軽にできるようになっています。また、GoogleやYahoo, Youtubeなどをウェブページ(動画含む)の検索や閲覧もすることができます。ネットと接続することへのインセンティブがずっと高いと言えるでしょう。

*2:J-COMの「総加入世帯数」は290万世帯と言われていますが、これはケーブルテレビ、ネット接続、電話のいずれかひとつ以上に加入している世帯の数です。

*3:昨年始まった東京ドラマアウォードのグランプリはWOWOWの「パンドラ」が受賞しています。

*4:日経新聞2008年12月26日「'09戦略そこが知りたい-3 任天堂社長 岩田聡氏」。日経のウェブサイトには掲載されていないようです。

*5:個人的には、このネーミングのセンスはあまり良くないなと思いますが。