Hulu成功のポイントは「近過ぎず、遠過ぎず」

今年3月に本格的なサービスを開始したHuluは、それから半年もしないうちに月間のストリーム提供数が1億回を越えるなど、これまでのところ非常に順調な成長を続けています。英米や日本でプレミアム動画*1の無料オンライン配信を手がける他の会社と比較すると、Huluの成功のポイントは、「近過ぎず、遠過ぎず」という、成り立ちと運営上の戦略にあるのではないかという気がします。

Huluは、アメリカのメディア・コンテンツ業界を支配する巨大コングロマリット群の一角を占めるNBC UniversalとNews Corpが共同で設立したベンチャー企業で、プレミアム動画のCMつき無料オンライン配信を専門に行う会社です。今年春の時点で社員数が約70人。今でもおそらく100人までは行っていないのではないかと思います。四大TVネットワークのうちNBCとFOXの2局と密接な関係を持つ一方で、自らの意思決定権を持つ独立した事業体であるというのがここで言う「近過ぎず、遠過ぎず」の意味です。

経営学の本などでは、新規事業を始める際には既存組織とは別の組織を設け、そこには既存組織の価値基準を当てはめないように注意することが必要だと説かれています。これは当然のことだと思えるかもしれません。でも、少なくとも映像メディア業界に限って言えば、なかなかそう単純にも行かないようです。

例えば、日本の民放系BSデジタル局。規制によって地上波民放はBSデジタルの兼業ができず、また出資比率も制限されているので、民放キー局がそれぞれ別会社を作ってBSデジタルに参入しました。でも思うように収入が増えず、5局合わせた累積赤字は1000億円を越えていると言われています(J-CASTの記事)。そんな状況では親会社を頼るしかありません。事実、地上波民放の出資制限が当初の1/3から50%までと緩和されましたし、また一部では地上波とBSデジタルの経営統合論も現れているそうです(IT Mediaの記事)。BSデジタルを始めるために別の組織を設けたといってもそれはあくまでも「仕方なく」行ったことであり、その新組織の価値基準は”親玉”である地上波民放の生き写しであることが見て取れます。形式的には独立していても、実質的には独立していないのです。

また、放送局のオンライン配信という点で言えば、日本ではフジテレビや日テレが、アメリカではABC,CBS,NBC,FOXの4大ネットワークがそれぞれのウェブサイトで取り組んでいます*2。自社で取り組むことにはもちろん利点がありますが、その短所としては「自社以外のコンテンツを取り込むことが難しい」ことが挙げられます。BBCNHKなど、1社でいくつものチャンネルを持ち何十年分ものアーカイブを含む膨大な番組資産を持つ会社であれば、自社のコンテンツだけでもユーザーを惹き付けるのに十分なのかもしれません。でも、その他大多数の放送局にとっては、自社のコンテンツだけしか提供できないのはサービスを拡大する上での制約になります。ABCやCBSなどは今年の春から相次いで最新番組だけでなく過去の番組もオンライン配信で提供するようになりましたが(関連エントリー)、それでもラインナップは30番組程度です。放送局自身がオンライン配信を行えば、別会社を作るよりも著作権の面などでは処理がしやすいのは確かです。でも、そうするとネットの世界が地上波の単なる「延長」になってしまい、それ以上の発展を望むことが難しくなります。「近過ぎ」の弊害と言えます。

一方で、テレビ局や映画スタジオといった映像資産を持つ会社と全く(あるいはほとんど)関わりを持たない会社がオンライン配信に乗り出す例もあります。JoostGyaoなどの映像配信プラットフォームです。「既存組織とは別の組織が、既存組織の価値基準にとらわれずに新しい事業を行う」という点では、上に記した経営学的な新規事業成功の法則を満たしているようにも見えます。しかし、権利ビジネスであるコンテンツ産業では、権利者たるテレビ局や映画スタジオの協力が得られないとプラットフォーム事業は成立しないのです。そして、権利ビジネスの仕組みが伝統的な業界の慣習の中で出来上がってきたものである以上、有力な旧来勢力とのつながりを持たない新参者にとっては非常に厳しい世界だと言えます*3。言い換えれば、そういう会社はコンテンツを動かす力を持った会社から「遠過ぎ」るので、トップ・クラスの人気コンテンツを仕入れるのがとても難しいのです。

このように、映像のオンライン配信は、新しいテクノロジーと伝統的な権利ビジネスを結びつける事業です。旧来の勢力が力を持つメディア・コンテンツ業界の中心から「遠過ぎ」てはコンテンツが集めづらいですし、「近過ぎ」てはオンラインという新たな世界の持ち味を十分に活かせなくなってしまうのです。そう考えると、NBCとNewsを親会社に持ちながら独立したベンチャーとして生まれ、その後も自立した会社として歩みを進めるHuluの設立と運営は、ともに「近過ぎず、遠過ぎず」という絶妙なバランスの上に成り立っているものだと考えることができます。業界の中枢にいる2社との密接な関係は、Huluを「業界の仲間」としてポジショニングするのに決定的な役割を果たしたはずです。と同時に、Huluが自らを「この2社の支配は受けない独立した会社だ」と周囲に納得させることができたからこそ、他の会社とも協力関係を築くことができたのです。もちろん、Huluがこうした方針を取ることについてはNBCとNewsの承認があったはずです。だから、「近過ぎず、遠過ぎない」存在としてのHuluを作ることが結果的には自社の利益になると判断してその設立に踏み出した親会社2社と、設立方針に基づきここまで見事な舵取りをしてきたHuluがともに賞賛されるべきなのかもしれません。

Huluのウェブサイトによれば、この会社は今FOX, NBC Universal, MGM, Sony Pictures Television, Warner Bros.を含む90以上のコンテンツ・プロバイダーから提供を受けた850以上のテレビ番組や映画を配信しています。もちろん、ABCやCBSは参加していませんし、親会社の2社とその他のコンテンツ提供者(SonyやWarnerなど)の「本気度」は大分と違いますので、そのあたりのことにも目を向けなくてはいけません。だから、今の時点でHuluをプレミアム動画のワンストップ・プラットフォームとは呼べませんし、コンテンツの集積にもまだまだ課題があるのは事実です。ですが、伝統的な枠組みを越えたフェアなパートナーシップに基づいてビジネスを築き上げていくということは、これからのネット時代にますます重要になっていくはずです。だとすれば、Huluのポジショニングと協力関係を築き上げる戦略を可能にしている要因には大いに注目すべきだと考えます。

*1:Huluのウェブサイトでは"premium video content"と表記されていますが、要するにプロが制作した映画やテレビ番組などのことを指します

*2:アメリカでは、配信されるコンテンツが日本とは比較にならないほど充実していることはこのブログで何度も触れている通りです

*3:日本のテレビや新聞業界も閉鎖的だとはよく言われますが、状況はアメリカでも同じです。「外」に対してはとても閉鎖的で、「中」に入ろうとすると何よりもコネが物を言います