「イノベーションのジレンマ」をもとに地上波TVとインターネットTVを考える-1

遅まきながら、「イノベーションのジレンマ」という本を読みました。著者のクレイトン・クリステンセンはハーバード大ビジネススクールの教授で、10年ほど前に出版されたこの本で一躍有名になった人です。読んでいるうちに、この考え方をもとにして地上波テレビと番組のオンライン配信の関係を分析することができるのではないかと思うようになりました。まだ思いつき程度のものなのですが、きょう考えたことを書いてみたいと思います。

イノベーションのジレンマとは、顧客の声を丁寧にすくいとり、その要望を満たすように自社の製品を改善していく優良企業が、その一見正しいと思える戦略を追求するが故に、新たに現れたより低性能・低価格の製品が切り開くニッチな市場の重要性に気づくことができず、やがて新興企業との競争に負けてしまうという理論です。クリステンセンは、イノベーションを、既存の技術を発展させる「持続的イノベーションと、従来とはまったく異なる価値基準を市場にもたらす「破壊的イノベーションに分類して、その間に起こる”ジレンマ”の構造を以下のように読み解いています。
○優れた大企業は持続的イノベーションによって自社の事業を成長させているので、顧客企業が興味を示さず、市場規模が小さく、利益率も低い破壊的イノベーションに上手く対応することができない
○技術が発展するスピードは、顧客ニーズが高等化するよりも速いことが多いので、大企業が持続的イノベーションを通じて開発した製品はやがて市場のハイエンドで求められる性能を超えてしまう(オーバースペック化)。一方で、最初は見向きもされなかった新興企業による破壊的技術を用いた低性能の製品は市場のローエンドで求められる水準を超え、下位市場で製品の置き換えが起こるようになる(破壊的技術の受け入れ)
○顧客のニーズを満たしすぎた製品は、それ以上高性能化しても意味がない。一方、下位市場に浸透した破壊的技術による製品は技術の進歩とともに徐々に上位市場にも進出していく
○機能による差がなくなると信頼性や利便性、そして価格へと競争の場が移り、「高性能・高価格」を売りにしていた大企業は新興企業との競争に敗れる

池田信夫さんなどがおっしゃるように、ムーアの法則でコンピュータの処理能力がどんどん高性能化し、またブロードバンドの回線がものすごい速さで高速化するなど、ネット上ではテキストから写真、音楽、動画に至るさまざまな情報が、あっという間に、そして多くの場合非常に低いコストで手に入るようになりました。インターネットは「破壊的技術」であると言えます。では、既存の優良大企業としての地上波テレビ局とインターネットの関係は、イノベーションのジレンマという観点から見るとどのようになっているのでしょうか。

まず、地上波テレビにおける「顧客」を考えてみましょう。クリステンセンが著書の中で扱っているのは、コンピュータのディスク・ドライブを製造する会社や掘削機業界など、顧客が企業であるBtoBの世界です。でも、ここではもう少し対象を広げてみましょう。「顧客」を、”その者たちの意見を尊重し、反映しなければならない存在”と位置付けると、まず、視聴率が経営に直結するという点で視聴者がいます。次に、テレビ局の収益源となるスポンサーがいます(民放の場合はCMを出す企業ですし、受信料は強制的な集金だという点で全く同列には扱えませんが、NHKの場合は視聴者がスポンサーでもあると考えられます)。そして、地上波テレビの興隆は電波を独占的に利用する権利を国から与えられていることに由来することを考慮すれば、も「顧客」の中に含めてよいでしょう。地上波テレビ局の顧客には、視聴者・スポンサー・国の3者があります。

次に、地上波テレビ局が行ってきた持続的イノベーションとは何でしょうか。これは、簡単に示せば


             → アナログ衛星放送→ BSデジタル
            ↑
白黒テレビ → カラーテレビ → → → → → → 地上デジタル
                            
                             
というように進んできたテレビの進化のことです。いずれもそれまでの技術をもとに「テレビ番組を送り届ける」ために開発された技術/プラットフォームであり、それはテレビ局が主導的に開発してきたものです。また、最近ではごく一部で双方向番組などが存在するものの、テレビ局が制作・編成した番組を不特定多数の視聴者に向かって一方通行で流すというモデルも変わっていません。これらは持続的な発展です。

ただ、それらが顧客のニーズを満たすために行われたものなのかどうかという点では、そんなに綺麗にはまとまらなそうです。たとえば、白黒からカラーへという意向は視聴者の希望も強かったのではないかと推察しますが、地デジへの切り替えは視聴者の要望によるものだとは言えません。でも、上に挙げた3種類の顧客に国が含まれていることからもわかるように、国が電波を管理している以上、地上波のテレビ局は国の方針には逆らえないとも考えられます。その側面を見れば、地デジへの移行は「顧客」の要望に沿ったものだと考えることができるでしょう。

一方で、インターネットは破壊的イノベーションです。ブロードバンドが普及したことによりインターネットで動画が見られるようになりましたが、多くの場合画質はまだまだテレビには及びません(ネットでHD画質の動画を配信する試みも行われていますが、容量が莫大になってしまうので今の時点では一般的だとは言えません)。よって、ネットでの動画配信はテレビと比べて低品質です。また、インターネットは既存のメディアよりもユーザーの裁量が格段に大きいメディアなので、既存の価値観を破壊しているとも言えます。持続的イノベーションを通じたテレビの発展では、どの番組を、いつ、どこに向けて発信するのかということはすべてテレビ局のコントロール下にありました。しかし、ネット上では、動画の不法アップロードやコピーに代表されるように、それが意図したものかどうかは別としてテレビ局の手を離れたところで流通するコンテンツが現れるようになったのです。これは非常に大きな変化です。視聴者は、番組と言うのはただ与えられたものを与えられた時間に視聴するのではなく、ネットを使えば好きなものを、好きな時に、好きなところから見ることができるんだということを学びつつあります。そして、それは逆に「顧客ニーズ」としてテレビ局の側に打ち返されていくことになるのです。

では、インターネットによる動画配信は低価格と言えるのでしょうか。不法コピーやCMつきの無料動画から1本いくらという有料配信まで幅広い形での配信が行われていますので、視聴者の立場からすれば一概に低価格だとは言えません。でも大企業であるテレビ局からするとオンライン配信の市場は非常に小さなものだと言えます。たとえば、アメリカのオンラインビデオの2008年の広告規模(参入しているすべての企業の合計)は5億ドル(Nielsen調べ)と言われていますが、放送波としてのテレビ局(ケーブルテレビを除く、ということ)は今年510億ドルの広告収入が見込まれています(Hollywood Reporterの記事)。地上波テレビ局にとっては、インターネット動画はあまりにニッチな市場なのです。そして、クリステンセンが言うように、既存の大企業はマージナルで規模が小さく得体のしれない新技術を「取るに足らないもの」と判断しがちなのです。

このように、地上波テレビ局が持続的技術の開発にリソースを集中的に投入し、破壊的技術であるインターネットを敬遠しているという構造は、イノベーションのジレンマという考え方を使って説明することができます。しかし、最近はそんな地上波テレビ局の中でもネット配信に乗り出しつつあるところも出てきました。次回はそうした具体例を挙げながらそれらが「持続的―破壊的」というラインのどのあたりに位置づけられるのかということを考えてみたいと思います。