「融合」について思うこと

留学を終えて帰国してから、日本で耳にする「放送と通信の融合」という言葉に違和感を感じるようになりました。日本では、融合についての話になるとテレビ局と通信会社の間の主導権争いといった構図で語られることが多い気がしますが、融合というのはもっと広い意味を持つのではないかと感じるのです。

イギリスでもアメリカでも、「融合」という言葉は大抵「デジタル技術がもたらす融合(Digital Convergence)」という文脈で使われます。そして、それは日本での議論よりもずっと幅広い範囲のことを差しています。僕が分かりやすいなと感じた融合(Convergence)の定義とは、「これまで別々のメディア(media)によって届けられていたサービスがひとつのメディア(medium)で利用できるようになり、またこれまではあるひとつのメディア(medium)上でしか使えなかったサービスが多彩なメディア(media)を通じて利用できるようになること(*1)」というものです。つまり、デジタル化によってコンテンツ(中身)とメディア(器)が分離され、メディアの境界を越えてコンテンツの流通が広まっていく過程を「融合」と呼ぶのではないかと僕は考えています。

例えば、ゲーム機のことを考えて見ましょう。つい最近、小学館集英社などが任天堂Wiiに向けて漫画をネット配信するという記事がNikkei Netに載りました(配信された漫画は、DSでも読めるようにする方向で検討中とのことです)。ロサンゼルスで開催されていたゲーム賞のE3では、Playstation3やXbox360上で映画などをダウンロードして視聴できるサービスが発表されました。また、日本ではPSPやDSに別売りのチューナーをつければ、ワンセグを受信してテレビ番組を見ることができます。いずれも、コンテンツを旧来それが利用されていたメディアとは別のところで利用できるようにするというサービスです。融合というのは、ただテレビ番組をネットで流すといったこと以上のインパクトを持った現象だと思います。

そう考えると、改めてインターネットの重要性が実感されます。映画、テレビ番組、新聞記事、漫画、ゲームなどのコンテンツが、劇場、テレビ、新聞、漫画本、ゲーム機といったメディアの枠を超えてさまざまな形で利用される上で、各メディアをつなぎその境界を超える流通を可能にするのがインターネットだからです。特に、ワンセグのような電波を使った携帯向けのテレビ番組配信が一般的ではないアメリカやイギリスでは、ネットにかけるメディア・コンテンツ企業の期待というのは大変なものがあります。「すべてのメディアをネットが囲む時代へ」というエントリーが先日のCNET Japanにありましたが、インターネットの存在感は今後ますます大きくなっていくんだろうな、と感じます。






(*1)Marsden, C. and Verhulst, S. (eds) (1999) Convergence in European Digital TV Regulation. London: Blackstone Press.