TEDについて-2

前回紹介したTEDの動画を見ていて、2つのことに気づきました。まず、面白い講演というのは、余計な要素を加えなくても話の力*1だけで十分楽しむことができるということ。次に、とは言いながらも、話を聞くだけでなくその講師についての情報(経歴や業績、専門分野など)も知りたくなるということです。そして、文字情報と動画を自由に組み合わせられるネットは、こうした講演を配信するのにすごく適したメディアだなと考えるようになりました。

比較のため、学者でも映画監督でもアーティストでも、ある分野で一流の人をテレビ番組で取り上げるというケースを考えてみましょう。テレビでは、TEDの多くの動画と違い、出演者が1人で話をするシーン(+客席の反応)だけで番組が出来てしまうことはまず考えられません。制作者たちは、その出演者という素材を最大限魅力的に見せるための演出や構成を必死に考えるはずです。例えば、「世界一受けたい授業」のように芸能人がスタジオの進行役や質問役として出て来ることもあるでしょうし、「情熱大陸」などのように密着取材をしながら出演者の生い立ちから今に至る経歴や生き方を描き出していく場合もあるかもしれません。いずれにせよ、演出や構成はテレビの世界には不可欠な要素なのです。

上に挙げた2つの番組はどちらも非常に丁寧に作られていて僕も好きなのですが、それが良いとか悪いではなくて、テレビ番組の場合は多くの人にアピールするための華やかさや「つかみ」がどうしても必要になります。だから、人気の芸人をレギュラー出演者に据えるなど話の本筋とは直接関係ないポイントもフルに活用しながら視聴者の関心を惹こうとすることになるのです。それに、映像メディアとして発展してきたテレビでは、何を説明するにも「映像で見せる」ことが大原則だという伝統があります。もちろんナレーションや文字スーパーも大事ではありますが、映画監督がゲスト出演するトーク番組であればその代表作や間もなく公開される新作、学者の場合は何らかの授賞式や国際共同実験の模様など、その人の経歴や業績を説明する際には必ずと言っていいほど映像が使われるのです。

多くの場合、その映像はテレビ局自前のものでなくどこか外部が権利を持っているものです。だから、映像素材は説得力がありますし視聴者の理解を助ける上で大きな役割を果たすのは確かですが、それらを多用すると番組に関係する権利者がどんどん増えていきます。スタジオで多数の芸能人が進行役・質問役として出演する場合も同じです。そして、権利者が増えるにつれて完成した番組の多メディア展開がどんどん難しくなるのです。テレビ放送は問題なくてもネット配信には許可が下りない、というように。「全世界に向けて無料でネット配信する」なんてことは、言葉の問題を別にしても最もハードルの高いことの一つでしょう。

TEDの講演動画を見てすごいと思ったのは、コンテンツとしての面白さを損なうことなくこうした「権利の呪縛」から巧みに逃れている点です。出てくるのは基本的に講師1人。ほとんどの場合はその講師が話す様子と時折インサートされる客席の様子だけで講演が映像化され、その他に使われるものはせいぜい講師が準備したパワポ資料ぐらい。こんな構成であれば、他の誰かが権利を持つ素材が使われることは滅多にないはずです。また、講演の補足情報として欠かせない講師の経歴や業績は、講演紹介ページにあるプロフィールを読めばいいのです*2。テレビでは極めて限定的な形でしかできない「文字情報と映像の組み合わせ」がネットでは自由に行えるため*3、あえて全てを映像で説明する必要がないのです。これだけシンプルだと、講師の許可さえ得られれば動画をグローバルに配信することは十分に可能でしょう。

このように、TEDがクリエイティブ・コモンズのライセンスに基づく非常にオープンな動画配信ポリシーを掲げることができる背景には、ネットの特性を生かしながら必要な情報をシンプルに伝えるという合理的な姿勢があるのです。そして、このフォーマットはテレビでは恐らく通用しませんが、ネットでは講演の内容さえ面白ければ十分に成立するのです。高品質のコンテンツをオープンに配信するためのひとつのヒントをTEDに教えてもらったような気がします。

*1:話の内容と講師のプレゼン力

*2:さらに詳しく知りたい場合は、講師のブログやウェブサイトなどに簡単に飛んでいくことができます。

*3:ネットの場合は動画と文字情報を別々に、でもすぐに互いを参照し合えるような形で提供することができます。