動き出す「TV Everywhere」計画

アメリカのケーブルTV事業者(Cable Operator)最大手のComcastTime Warnerと組んで番組のネット配信実験を始めることが発表されました(Wall Street JournalLos Angeles Timesの記事を参照)。Time Warnerの傘下であるCable NetworkのTNTとTBSの一部番組をComcastの契約者に向けてネットでも提供するとのことです。以前にお伝えした(こちらTime Warnerの「TV Everywhere」構想が動き始めました。

「TV Everywhere」なんて聞くと壮大な計画のような気がしますが、これまであまりネット配信されてこなかったケーブル専門局(Cable Network)制作の番組をオンラインでも視聴できるようにしようというのが計画の骨子です。重要なのは、ネット配信自体は無料で利用できるとはいえ、対象をケーブルテレビの加入者に限っている点です。これは、「お金を払ってケーブルテレビに入っている人は一部の番組を追加料金なしでオンライン視聴できるようになりますよ」というクローズなサービスなのです。この点で、地理的な制約などはあるにせよサービス提供地域ではブロードバンドが使えれば誰でも無料で動画が視聴できるHuluやYoutubeなどとは性格が大きく異なります。

ケーブルテレビ業界にとって、加入者が毎月支払う利用料は極めて重要な収入源です*1。だから、サブスクリプション制度と真っ向から対立する広告付きの無料モデルを展開するHuluのようなプラットフォームに番組を気前よく提供するわけにはいかなかったのです*2。しかし一方で、音楽業界や新聞業界の衰退を目の当たりにすると、ネットに背を向けるだけではいずれジリ貧になってしまうことは容易に予測できます。そこで彼らが考えだしたのが、サブスクリプション制度を維持したままネット配信に乗り出すという方法でした*3。言い方を変えれば、伝統的なWalled Gardenのシステムをネットの世界にも広げようとする取り組みです。Huluも無料サービスに加えてサブスクリプション制を取り入れようとしているのではないかと取り沙汰される中(関連エントリ)、動き出した「TV Everywhere」計画がどのような反響を呼ぶのかとても興味深いところです。

Time WarnerComcastが強調するのは、これは今までケーブルテレビの世界に閉じ込められていたコンテンツを(有料の加入者限定といえ)ネット上でも利用できるようにする「プラスα」のサービスだという点です。でも、もともと「TV Everywhere」の出発点がネット上の無料動画配信によってケーブルテレビの加入者が減ってしまうという危機感にあったことを考えると、この計画を評価する際には「加入者へのプラスαがあるかどうか」だけでなく、「ネット上の動画視聴全体にどのような影響を与える(または与え得る)のか」という広い視点を持つ必要があります。そして後者から見た時、少なくとも今の状況では「TV Everywhere」には利点よりも課題のほうが多そうだなという気がします。

視聴者の立場からすると、この構想が持つ最大の潜在的なデメリットは、これがネット上の無料動画コンテンツの質や量に「マイナスβ」の悪影響を及ぼすことです。「プラスα」と「マイナスβ」の話はHuluとサブスクリプション制のことを書いたエントリ(こちら)でもしましたが、Huluが無料サービスから始まった(そして現時点では無料サービスオンリーの)会社であるのに対してケーブルテレビが徹底して有料思想の業界であることを考えると、βの値はこちらの方がずっと大きくなるのではないかと推測できます。実際、上で紹介したLA Timesの記事に「TV Everywhere」に強い調子で反対する女性の声が紹介されています。「TV Everywhereが「みんなのためのテレビ」(TV for Everyone)を意味しているのではないことは明らかだ。」、そしてTime WarnerComcastは「インターネットを自分たちの私的なケーブルチャンネルにしたがっている」と。

この意見が象徴するように、ネットの世界にWalled Gardenを持ち込もうとする計画はユーザーからの強い拒絶反応を引き起こしかねません。特に問題視されるのが、「TV Everywhere」構想からは、オセロの石をひっくり返すようにこれまで無料だったものも有料にしてしまおうという野心が感じられることと、そのWalled Gardenに入るためには少なくとも月に数十ドルを払ってケーブルTVに加入しなければならないという敷居の高さでしょう。例えば、Hulu(無料)とiTunes(有料)が併存しているように、無料配信と棲み分ける形でケーブルテレビ業界が番組のネット配信に乗り出すのであれば、ユーザーからの反発もそれ程大きくはならないでしょう。また、月に10ドル前後払えばこれまでネット上では見られなかったCable Networkの番組がオンライン視聴できるようになるというのであれば、ある程度のニーズはあるかもしれません*4。でも、今出ている情報を見る限りでは、ケーブルテレビ業界が狙っているのは「見せかけの無料ネット配信制度」を掲げてケーブルテレビへの契約を維持・増加させ、同時に「今ある広告付きの無料ネット配信」の勢いを削ぐことだと感じられます。

ここに、「企業の論理」と「視聴者の論理」の衝突があります。例えばHuluは一線を保ちながらもできるだけ視聴者の論理に近づくことで利用者を増やしてきましたが*5、「TV Everywhere」はあくまでケーブルテレビのサブスクリプション制を堅持するという企業の論理が第一に来ています。ネット配信は、その前提を満たした上でのおまけのような位置づけです。

僕は、ネット上のサービスはすべて無料であるべきだとは考えていませんが、有料サービスを展開するのであればそれなりの価値を提供してほしいと思っています。でも、少なくとも現時点の「TV Everywhere」構想が打ち出しているネット配信計画が毎月数十ドルのケーブルテレビ利用料を正当化するほどの魅力を持っているとは感じません*6。企業からユーザーへのパワーシフトが起きているといわれる今のデジタル化社会でも結局は企業の論理が押し通されるのか、それともユーザー側からの反発を受けて「TV Everywhere」がより視聴者目線のサービスになっていくのか。今後の展開が気になるところです。

*1:ComcastのようなCable Operatorにとっては正に収入の大黒柱ですし、Cable Networkも広告に加えてCable Operatorから利用料の一部配分を受けることで経営を成り立たせています。

*2:HuluにはCable Networkの番組もありますが、数はごくわずかです。

*3:ちょうど新聞業界でも同じようなことが議論されています。

*4:どの局が参加するのかによってニーズは大きく変わるでしょうが。

*5:最近はその線引きが業界側に傾きつつあるように感じられることもありますが。

*6:ケーブルテレビに毎月数十ドル払うことにたいする価値判断は人それぞれでしょうから、それについて何かを言うつもりはありません。僕もアメリカにいた時にはケーブルテレビに加入していました。ここで言いたいのは、YoutubeやHuluに満足してケーブルテレビの契約を打ち切ろうとする人が今の「TV Everywhere」構想を知って解約を思い留まることはないだろうということです。